春日大社(奈良市)
春日大社に灯籠を寄進するのは可能だが、一体いくらが必要なのかは神社に訊いてみないとわからない
今では春日大社にある約3000基の灯籠全てに火が灯されるのは、節分の夜と中元の夜だけだ
東大寺(奈良市)
奈良の大仏前にある花瓶に脚が8本ある異形の蝶々が止まっている
三の丸尚蔵館(皇居)
皇居三の丸尚蔵館には8つの国宝があるのだけれど、ちびちびと公開しているのでなかなか全てを鑑賞するのは難しい
駁二芸術特区(高雄)
旧倉庫街がリノベーションされて、芸術家や学生に提供する創作発表の場である駁二芸術特区という観光名所に変貌している
前金万興宮(高雄)
基本的には道教の寺院のようだけれど、中にある祭壇には仏教の準提観音も祀られていた
東京国立博物館(上野)
トーハクに収蔵されている法隆寺献納宝物は、寺宝が散逸しないように皇室に一括献納した宝物と考えられている
久能山東照宮(静岡市)
刺すような視線を返してきた随身は神を守護するというよりも、逆に世知辛い世の中から優しく守られているように見えた
市谷の杜 本と活字館(市ヶ谷)
工場の表玄関で本社機能と営業部門が置かれていた「時計台」が、ガラス張りの本社ビルの足元に縮こまっている
博物館の仏像は、信仰の対象というよりも美術品としての要素が大きいようだけれど、お賽銭箱を置いたら結構の人がお賽銭を入れる気がする
谷津大観音(滝野川)
谷津大観音という大仏は大仏といっても、その高さは台座を含めて8.5メートルしかなく、周囲の民家に紛れてひっそりと鎮座している
ステンドグラス美術館(小樽)
中国で皇帝のシンボルとされる龍が、キリスト教文化では騎士に退治されるドラゴンになってしまうのにちょっと居心地を悪く感じてしまう
子規庵(根岸)
根岸にある子規庵から野球好きで闊達だった正岡子規を連想するのは難しい
茂林寺(館林)
おとぎ話の中だけに存在していると思われがちな文福茶釜の実物が茂林寺に保管されている
つつじが岡公園(館林)
鶴生田川の上の鯉のぼりは、どれもこれも元気よく泳いでいた
少林山達磨寺(高崎)
達磨寺の達磨堂には数え切れないくらいたくさんの達磨が奉納されている
湯島天神(湯島)
何かを考えないように努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなるものだ
東京ジャーミイ(代々木上原)
東京ジャーミイのミナレットが鉛筆みたいな形をしている理由
千葉県立美術館(千葉市)
モノトーンで描かれた江口寿史のイラストは版画のように見えた
増上寺(東京)
地震にも焼夷弾にもやられてしまうことなく、増上寺の三解脱門は400年経った今でもしっかり建っている
三渓園(横浜)
いくつもの歴史的な建造物が建っている三渓園はさしずめ建物の美術館だ
中川橋(亀有)
近未来の乗り物がいつの間にか空飛び車から自動運転の自動車に変わっている
東京国立近代美術館(北の丸公園)
展示室の外にさりげなくアントニー・ゴームリーの「反映/思索」という作品が置かれている
江島神社の奥津宮(江ノ島)
金運アップのご利益のある江島神社の奥津宮では老若男女がを熱心にお願いしていた
アートアクアリウム美術館 GINZA(銀座)
単に綺麗なものよりも謎めいたものの方が心に引っかかてしまう
五稜郭タワー(函館)
五稜郭タワーの展望室に展示されているジオラマが思いの外面白かった
馬橋稲荷神社(阿佐ヶ谷)
目を細めていると訝しく感じているように見える
根津美術館(青山)
親指と薬指で輪っかを作る仏像はお金を無心しているかのようだ
根津美術館の如来立像の印象は公式HPと実物で結構違う
神田明神(神田)
筋骨隆々の狛犬の向こうにも筋骨隆々の狛犬が控えていた
麟祥院(湯島)
春日局の墓所は人気はなくとも立派だった
新宿高島屋(新宿)
日本でも美術作品の追及権が一般的になるかもしれない
神楽坂毘沙門天善國寺(神楽坂)
神楽坂毘沙門天には狛犬ではなく狛虎が鎮座している
赤城神社(赤城元町)
赤城神社の狛犬はなぞなぞを出してきそうな雰囲気を持っている
草間彌生美術館(弁天町)
ニュルニュルと絡みついてきそうな草間彌生の作品
壁に記された年表はどこまでも、いつまでも終わらないよう雰囲気だった
武州柿生琴平神社(川崎)
供養されるのを待つ人形はどれも虚空を見つめていた
浄慶寺(川崎)
羅漢が楽しんだっていいじゃない
喜多院(川越)
喜多院の五百羅漢像はそれぞれが異なる表情・ポーズで鎮座していた
川越氷川神社(川越)
川越氷川神社には参拝客向けのエンタメがいくつもある
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