ストレートで紅茶の香りを楽しむというのはどうやら外国人の趣味らしい
目前を通り過ぎていく自動車の車体には、数字もデーヴァナーガリー文字で書かれていた
ムンバイの路地裏は、そもそも無秩序の王国のようなもので、牛も人もバイクも思い思いに通り抜けていくのが常のはずだ
インドという国では働いているのか休んでいるのか、あるいはただ「待っている」のか、その区別が曖昧な場面にしばしば出くわす
ベトナム人にとってロンビエン橋は単なる交通手段であるだけでなく、戦禍と復興の歴史を体現する象徴でもあるのだろう
中央に媽祖を祀る本殿がありながら、その周囲には多種多様な神々が、それぞれの小さなお堂に鎮座していた
外を歩いているはずなのに、ふとした瞬間、屋内をさまよっているような気分になることがある
インドの街ではどこにも属さず、ただ道端に腰を下ろしている人びとをよく見かける
ハノイ旧市街を歩いていると、絶え間なくバイクの音が耳に届いてくる
道教寺院には何度も足を運んでいるのに、僕はまだ作法をよく理解できていない
ぎゅっと凝縮された熱と暮らしが詰まっているのが香港という都市の不思議な魅力かもしれない
青空床屋に登場するのは、ここでも男性ばかりだった
おもちゃ屋の前に立っていた小さな男の子は、パラダイスに迷い込んだようだった
かつて鹿港が港町として栄えていたころ、多くの船乗りが立ち寄ったという天后宮には、今でも多くの信者が訪れる
冷蔵ケースなどは見当たらず、ローストされた鶏が店内に無造作に吊るされていた
タクシーのドアの内側に、色褪せた花柄のビニールシートが貼られていた
ベトナムでは、都市から農村に至るまで、郵便ネットワークが今なお力強く機能しているという
台湾の伝統芸能である布袋戲、つまり掌中劇を演じる舞台が道端に出ていた
店先にずらりと並んだ肉はまるでこの香港の生命力そのものを象徴しているかのようだった
バス停のベンチに座っていたひとりの女の子が、こちらを見てふっと微笑んだ
故宮博物院南部院区(嘉義)
仏像はどこからともなくお経が聞こえてくるのを待っているのかもしれないけれど、ここは寺院ではなく博物館だ
代々木公園(東京)
道端のドラマー
ウブド(バリ島)
闘鶏の観衆
葛飾八幡宮(千葉)
葛飾八幡宮は東京の葛飾区に建っていない
トゥストラ・グティエレス(メキシコ)
気難しい顔で演奏
ヤンゴン(ミャンマー)
ボサボサの髪の老人
クアラピラー(マレーシア)
談笑する男
イントラムロス(フィリピン)
門のところにいた女の子
ショナルガオ(バングラデシュ)
ショナルガオの床屋にいたふたり
コルカタ(インド)
男たちがまだ熟していないバナナの房を頭に乗せて競りの会場まで運んでいた
上野駅(東京)
真っ黒な雲の下のビル
ベルハンポル(インド)
学校帰りの男の子
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