ジャカルタ(インドネシア)
町を歩いていると目にするのは男性向けの床屋ばかりで、女性はどこで髪を切っているのかは謎だった
仕立屋が使っているミシンはかなり年季の入った代物だった
インドネシアのバイク保有世帯比率は85%もあり、世界で三番目に高い
僕の後をつけてきたふたりの女の子にカメラを向けると笑顔が返ってきた
路地に出ていた屋台の周囲には大勢の人が集まっていて賑わっていた
手軽な喫茶店のないような住宅街では、路上が人びとのくつろぐ場所になっている
ジャカルタの路地で若い男が中華鍋を振っていた
ひとたびジャカルタの住宅街に迷い込めば、英語が堪能かどうかなんて関係なくなってしまう
アメリカの囚人服の風采に由来するとされる腰パンは、ジャカルタでも若者の着こなしとしてすっかり定着しているようだ
鮮やかな色に塗られたワゴンはまるでオランダの三色旗のようだった
人生の年齢が深く刻まれた顔でじっと見つめられると、なんだか心の中を見透かされているような気がした
外国人があまりいない観光地でないところを歩いていると、地元の人の注目を浴びることは多い
インドネシアは高温多湿なので、タキーヤもメッシュ状にした方が涼しいに違いない
ジャカルタでも日本や韓国、台湾と同じようにピースサインは写真撮影時の一般的なポーズになっている
ジャカルタでも住宅街を流れる川で地元の子どもたちが遊んでいた
サッカー好きとしては日本代表のユニを着た人を見かけると少し嬉しくなる
社会の維持に必要な肉体労働はAIが発達しても、そうそうなくなることはないだろう
サワブサール駅(ジャカルタ)
ジャカルタでもスマホは一般的だが、すべてのバイクタクシーが配車アプリに対応しているとは限らない
ジャカルタで道が交差するところには、必ずやバイクタクシーの影がある
ジャカルタのサワブサール駅の周辺には商業施設が建ち並んでいる訳でもなく、普通のビルが並んでいるだけだった
カメラ付携帯電話の普及によって写真を撮ることと撮られることの非日常性は薄れてしまった
東京に負けるとも劣らずコンビニがアチラコチラにあるジャカルタだけれど、中には昔ながらのキオスクも残っている
ジャカルタでバジャイの運転手をしている人はチェック柄のシャツを着ていることが多いような気がする
パサール・バル(ジャカルタ)
ジャカルタのショッピング・モールで獅子舞が旧正月を祝っていた
ジャカルタにあるパサール・バルという商店街の端には大きなショッピングモールが建っていて、両脇には屋台が並んでいた
僕が日本人だと分かると、おじいさんはいそいそと古いお札の中から日本の軍票を指し示してきた
パサール・バルという商店街はジャカルタのリトル・インディアで、アパレル関係のお店が多かった
サワー・ブサル地区(ジャカルタ)
注文が入らなければ何もすることがない絵描きたちは、チェスに興じて時間を潰すのだ
サワー・ブサル地区には何人もの画家が小さいながらも画廊のようなブースを構えているエリアがあった
ジャカルタでもスマホは一般的なのだけれど、男が使っていたのは古いタイプの折り畳み式の携帯電話だった
ジャカルタはバスなどの都市交通網が発達しているように思えるけれど、それでも地元の人はバジャイに乗ることも多いようだ
ジャカルタでGrabにもGojekにも登録していない独立系の運転手は、OJEKと呼ばれるらしい
イスティクラル・モスク(ジャカルタ)
イスティクラル・モスクは異教徒であっても礼拝の行われているモスクの中に留まっていてもよいことになっている
日本では肉体労働をする人の多い職場にある食堂では味付けの濃い料理が出てくる多いイメージがあけれど、ここインドネシアでもどうなのだろう
ガンビール駅(ジャカルタ)
男はGojekのドライバーをしながら、同時に道端でお菓子類を売る仕事もしているようだった
ジャカルタではバジャイの運転手が営業トークをしてくることはなかった
ジャカルタで直距離列車の発着するガンビール駅には、住宅地にある駅のような落ち着いた雰囲気が漂っていた
歴史的にはコタ駅がジャカルタの中央駅なのだが、今ではほとんどの長距離列車がガンビール駅を発着駅としている
ガンビール地区(ジャカルタ)
ハヤム・ウルク通りを走るバスはバス専用レーンを走り、プラットホームも中央分離帯に設けられていた
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
ジャカルタで見かけた給油機は人間にする点滴と同じ仕組みで動いているような気がした
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