ジャカルタ(インドネシア)
人生の年齢が深く刻まれた顔でじっと見つめられると、なんだか心の中を見透かされているような気がした
外国人があまりいない観光地でないところを歩いていると、地元の人の注目を浴びることは多い
インドネシアは高温多湿なので、タキーヤもメッシュ状にした方が涼しいに違いない
ジャカルタでも日本や韓国、台湾と同じようにピースサインは写真撮影時の一般的なポーズになっている
ジャカルタでも住宅街を流れる川で地元の子どもたちが遊んでいた
サッカー好きとしては日本代表のユニを着た人を見かけると少し嬉しくなる
社会の維持に必要な肉体労働はAIが発達しても、そうそうなくなることはないだろう
サワブサール駅(ジャカルタ)
ジャカルタでもスマホは一般的だが、すべてのバイクタクシーが配車アプリに対応しているとは限らない
ジャカルタで道が交差するところには、必ずやバイクタクシーの影がある
ジャカルタのサワブサール駅の周辺には商業施設が建ち並んでいる訳でもなく、普通のビルが並んでいるだけだった
カメラ付携帯電話の普及によって写真を撮ることと撮られることの非日常性は薄れてしまった
東京に負けるとも劣らずコンビニがアチラコチラにあるジャカルタだけれど、中には昔ながらのキオスクも残っている
ジャカルタでバジャイの運転手をしている人はチェック柄のシャツを着ていることが多いような気がする
パサール・バル(ジャカルタ)
ジャカルタのショッピング・モールで獅子舞が旧正月を祝っていた
ジャカルタにあるパサール・バルという商店街の端には大きなショッピングモールが建っていて、両脇には屋台が並んでいた
僕が日本人だと分かると、おじいさんはいそいそと古いお札の中から日本の軍票を指し示してきた
パサール・バルという商店街はジャカルタのリトル・インディアで、アパレル関係のお店が多かった
サワー・ブサル地区(ジャカルタ)
注文が入らなければ何もすることがない絵描きたちは、チェスに興じて時間を潰すのだ
サワー・ブサル地区には何人もの画家が小さいながらも画廊のようなブースを構えているエリアがあった
ジャカルタでもスマホは一般的なのだけれど、男が使っていたのは古いタイプの折り畳み式の携帯電話だった
ジャカルタはバスなどの都市交通網が発達しているように思えるけれど、それでも地元の人はバジャイに乗ることも多いようだ
ジャカルタでGrabにもGojekにも登録していない独立系の運転手は、OJEKと呼ばれるらしい
イスティクラル・モスク(ジャカルタ)
イスティクラル・モスクは異教徒であっても礼拝の行われているモスクの中に留まっていてもよいことになっている
日本では肉体労働をする人の多い職場にある食堂では味付けの濃い料理が出てくる多いイメージがあけれど、ここインドネシアでもどうなのだろう
ガンビール駅(ジャカルタ)
男はGojekのドライバーをしながら、同時に道端でお菓子類を売る仕事もしているようだった
ジャカルタではバジャイの運転手が営業トークをしてくることはなかった
ジャカルタで直距離列車の発着するガンビール駅には、住宅地にある駅のような落ち着いた雰囲気が漂っていた
歴史的にはコタ駅がジャカルタの中央駅なのだが、今ではほとんどの長距離列車がガンビール駅を発着駅としている
ガンビール地区(ジャカルタ)
ハヤム・ウルク通りを走るバスはバス専用レーンを走り、プラットホームも中央分離帯に設けられていた
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
ジャカルタで見かけた給油機は人間にする点滴と同じ仕組みで動いているような気がした
タマン・サリ地区(ジャカルタ)
ひとりの男の子だけが皆から離れて黙々と太鼓を叩いていた
ジャカルタの住宅街では建物と建物の間に人が通れるような隙間があることもあった
グロドック地区(ジャカルタ)
グロドックの路地にはバイクが何台も停められていて、ただでさえ狭い路地がより一層狭くなっていた
中華文化圏で油条と呼ばれている細長い揚げパンは、インドネシアではチャクウェと呼ばれている
ジャカルタの密集した住宅街には濃厚な近所付き合いが今でも残っているのかもしれない
ジャカルタの人は外国人が珍しくないのか、興味がないのか、あまり観光客がいないような場所を歩いていても耳目を集めることはない
お店が閉まっていて、日曜日の住宅街に穏やかな空気が漂っていた
金徳院(ジャカルタ)
日本でお参りするときは胸の前で合掌するけれど、東南アジアでは胸の前でなく頭よりも手を高く上げて合掌するのが一般的だ
東南アジアにある中国寺院にはお堂の中にいくつも祭壇が設けられていることが多い
金徳院(インドネシア)
若い人たちの中には春節を祝うよりも、今やっているゲームの進捗状況の方がずっと大切だと感じている人もいる
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