サワー・ブサル地区(ジャカルタ)
屋台の後ろに男たちがいるのだけれど、みなスマホに見入っていて、仕事をしているのか休んでいるのか判然としなかった
タマン・サリ地区(ジャカルタ)
町中すべてが高層ビルになったら、幼い女の子がお父さんと道端でのんびりするようなこともなくなるのだろう
ジャカルタの住宅街では建物と建物の間に人が通れるような隙間があることもあった
ジャカルタの路地の入口にはベンチが置いてあって、井戸端会議を開けるようになっていた
グロドック地区(ジャカルタ)
グロドックの路地にはバイクが何台も停められていて、ただでさえ狭い路地がより一層狭くなっていた
中華文化圏で油条と呼ばれている細長い揚げパンは、インドネシアではチャクウェと呼ばれている
ジャカルタの密集した住宅街には濃厚な近所付き合いが今でも残っているのかもしれない
ジャカルタの住宅街では子どもも大人も路地でダラダラと時間を過ごしていた
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタの屋台でチンチャオと呼ばれる薬草から作ったゼリーが売られていた
ジャカルタを歩いているとよく猫に遭遇する一方で、犬に遭遇することはほとんどない
路地にぶら下がっていたバナナは売れ残りではなく、吊るすことによってここが青果店であることを無言でアピールしているのかもしれない
ジャカルタにはストリート・フードが溢れていて、歩いている最中に小腹が減っても食べるのに困ることはない
猫への愛は信仰の一側面である、と預言者ムハマンドは言っているらしい
圧倒的多数を占めるイスラム教徒に配慮しているのか、インドネシアでお酒を売っている場所はあまりない
ジャカルタ(インドネシア)
ジャカルタは赤道に近く、1月であっても最高気温は30度を超える南国だ
ぷくぷくに膨らんだプテのさやを見ていると、中から何か出てきそうでちょっと怖い
チャイナタウン(バンコク)
チャイナタウンの路地は複雑に絡み合っている訳でもないのに、歩いているとすぐに方向感覚が無くなってしまう
イタリア製のスクーターにインド系の男が乗った写真には、チャイナタウンらしさもタイらしさもなかった
バンコクではチャイナタウン以外にも大勢の華僑が住んでいて、お店の看板にルーツを示すためなのか漢字を用いることが多い
大同区(台北)
台北大同区では家の外に洗濯物が干されていなかった
三軒茶屋(東京)
三軒茶屋の一角に迷路のような路地が残っている
ヤンゴン(ミャンマー)
動物も泥濘んだ土の上を歩くのは嫌なようで、人間と同じように飛び石の上を歩くのだった
ローカルな雰囲気に包まれた路地で男の子がTシャツを捲って頭にかぶっていた
横縞模様のTシャツを着た女の子が手に持ったおやつをぱくつきながら僕の横を通り過ぎていった
息子に向かって伸ばした腕の指先にまで力が入っているところを見ると、お母さんは息子を叱っているところのようだ
路地も住居も無秩序に建てられた区画に都市計画なんて存在しないのだろう
タニン(ミャンマー)
高床式の住居の間を縫うようにして伸びている路地を歩いても訝しげな視線を向けてくる人はいなかった
路地を進んでいると、家の窓から身を乗り出した男の子と否が応でも視線が合う
男の子が女の子の気を惹くのに失敗しているように見えた
バンコク(タイ)
砦の内側にある辺りは昔からある町並みのようで、道が碁盤の目になっていないし、どこかに通じているのかも判然としない
人間が寛ぐにはちょっと寂しすぎる路地も、その静寂は猫の好みに合致するのかもしれない
困っていた大人たちに混じって、幼い女の子も心配そうに覗き込んでいた
高齢化が進んでいないタイではシャッター商店街なんてものは都市伝説かもしれない
プラナコーン区(バンコク)
僕が求めているのは、バンコクを走る運河の脇に転がっていることが分かってきた
メークロン(タイ)
メークロンの中心地なのだろうけれど、道の両脇には住居がびっしりと並んでいて住宅街の様相を呈していた
バーンルアン(バンコク)
バーンルアンという小さな集落はレトロな雰囲気を売りにした観光地だった
トンブリー区(バンコク)
電線の行き交う路地で麦わら帽子をかぶった男が買い物していた
まるで時間が止まってしまったかのような路地で、唯一動いていたのはテーブルで書き物をしている女性の手だけだった
ポーンプラープ区(バンコク)
観光名所になっていないポーンプラープ区の路地の奥に、人気の食堂があった
太陽が燦々と降り注ぐ道よりも、ちょっと陰気な道の方を自然と選んで歩いてしまうのは僕の性なのだろう
公園
車窓
参拝客
境内
博物館・美術館
バナナ