バンコク(タイ)
高齢化が進んでいないタイではシャッター商店街なんてものは都市伝説かもしれない
プラナコーン区(バンコク)
僕が求めているのは、バンコクを走る運河の脇に転がっていることが分かってきた
メークロン(タイ)
メークロンの中心地なのだろうけれど、道の両脇には住居がびっしりと並んでいて住宅街の様相を呈していた
バーンルアン(バンコク)
バーンルアンという小さな集落はレトロな雰囲気を売りにした観光地だった
トンブリー区(バンコク)
電線の行き交う路地で麦わら帽子をかぶった男が買い物していた
まるで時間が止まってしまったかのような路地で、唯一動いていたのはテーブルで書き物をしている女性の手だけだった
ポーンプラープ区(バンコク)
観光名所になっていないポーンプラープ区の路地の奥に、人気の食堂があった
太陽が燦々と降り注ぐ道よりも、ちょっと陰気な道の方を自然と選んで歩いてしまうのは僕の性なのだろう
日差しはあまり差し込んでこない路地にも雨粒だけはしっかりと入り込んでいて、路面はしっかり濡れていた
誰もいない寂しい路地で生き物に出会えて僕はちょっと嬉しくなったけれど、猫はそうは感じていないようだった
建物に挟まれた路地は薄暗く、降り注いでいるのは建物の間から頼りなく差し込んでくる光だけだった
サムパッタウォン区(バンコク)
見まごうこと無い地元の人たちが、街角で井戸端会議を催していた
路地にストライプの大きな傘が現れた
お世辞にも綺麗とは言えない市場の一角で猫と対峙した
チャイナタウン(バンコク)
混雑した通りにいるのは買い物にやって来た人ばかりではなく、屋台も出ていた
サンペーン市場(バンコク)
急ぎ足で歩く女性にとっては賑わう市場も単なる通り道で、購買意欲をそそられる場所ではないのだ
バムルンムアン通り(バンコク)
バムルンムアン通りには多くの仏像屋が軒を連ねている
タイ料理は辛いというイメージがあるけれど、このような食堂で食べる料理は辛いことはあまりない
なぜだか路地の鏡に鏡がかけられていた
カオサン通り(バンコク)
太陽と一緒に店員のやる気もどこかへ飛び去っていってしまったかのようだった
千住(東京)
かなり蛇行した路地だったから、ここはかつて川だった場所なのかもしれない
新宿(東京)
新宿南口を出た辺りに今でも残っている路地は、戦後のどさくさに立った闇市の雰囲気を感じさせる
門前仲町(東京)
都内で「町」の付く地名は「まち」と読むのか「ちょう」と読むのか未だによくわからない
武蔵小山(東京)
路地の片隅でタンポポが綿毛をフサフサさせていた
西荻(東京)
合理主義者にとっては路地の密集地帯は早急に再開発すべき場所かもしれないが、こうした場所こそ町の個性や魅力を育んでいる
新宿ゴールデン街(新宿)
看板だけでは店の中の様子もわからず、初めての店に足を踏み入れるには少しばかり勇気がいる
歌舞伎町(新宿)
のんきに餌を食べる姿は危険や不穏な雰囲気を微塵も感じさせなかった
中目黒(東京)
静かで落ち着いた空気が漂っている路地に、場違いのようなオープンカーが停まっていた
日本橋(東京)
路地に駐められた配達用のスーパーカブを眺めていると時間が停まっているかのような錯覚に陥る
嘉義(台湾)
通りに面している建物だけではなく、その裏側にも昔ながらの家屋が並んでいるようだった
水仙宮市場(台南)
シャッターの閉まった水仙宮市場で親子ふたりが我が家でくつろいでいるかのように楽しんでいた
よそ者の僕にとって、迷路のように複雑に入り組んだ市場の路地はとても魅力的だ
細い通路が入り組む市場の中でも、ここは裏通りのようで、市場の表の顔とは異なる別の時間が流れているようだった
台南(台湾)
猫たちはどこにいても自由で、自分の時間を楽しんでいる
何匹もの猫たちに出会った路地裏はまるで猫たちの隠れ家のようだった
自動車が入るにはあまりに狭い路地は自然と静寂を湛えている
家と家の間に走る路地は、眺めただけでは通り抜けられるのかどうかは判然としない
人気のない寺院を前にして思うのは、祀られている神様もきっと暇を持て余しているだろうということだった
スクーターは何事もなかったかのように一瞬で走り去っていき、また静けさだけが残った
安平老街(台南)
バイクで配達するヤマトさん
列車
こども
笑顔
笑い
門
魚売り