グロドック地区(ジャカルタ)
ジャカルタでは配車サービスのGrabとGojekがしのぎを削っている
大史廟(ジャカルタ)
ジャカルタにある大史廟には祭壇がいくつも設けられていて、神様があちらこちらに祀られている
中国寺院を訪れるといつも思うのだけれど、中国寺院にはいくつもの神様が同じお堂の中に祀られていることが多い
道教の神様だけでなく、仏教系や儒教系の神様も祀られていて、大史廟に祀られている神様の種類は多い
男は門前の小僧ならぬ、中国寺院門前の仕立屋だった
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタを走り回るオート三輪のタクシーは青色と決まっているようだ
道端に靴の修理屋があるのは、ジャカルタの人が物を大切に扱うからだけでなく、購入した方が人が修理よりも高く付くことを示している
ジャカルタの屋台でチンチャオと呼ばれる薬草から作ったゼリーが売られていた
ジャカルタを歩いているとよく猫に遭遇する一方で、犬に遭遇することはほとんどない
インドネシア語でお米はナシという
ジャックと豆の木に出てくるえんどう豆はプテのように大きいものに違いない
路地にぶら下がっていたバナナは売れ残りではなく、吊るすことによってここが青果店であることを無言でアピールしているのかもしれない
マレーシア語とインドネシア語は多少の違いはあるにせよ、お互いに意思の疎通は難なく図れるくらいに近いものらしい
ジャカルタにはストリート・フードが溢れていて、歩いている最中に小腹が減っても食べるのに困ることはない
猫への愛は信仰の一側面である、と預言者ムハマンドは言っているらしい
きちんと招福駆邪するためのお金を渡していたから、男は笑顔で応じてくれた
ソンコという帽子はトルコ帽にもテュベテイカにもネパールのトピという帽子にも似ている
獅子頭を付けていた男にいくばくかのお金を渡したら、獅子頭を持ち上げて満面の笑みを浮かべてくれた
圧倒的多数を占めるイスラム教徒に配慮しているのか、インドネシアでお酒を売っている場所はあまりない
ジャカルタのチャイナタウンで若い男がニンニクを刻んでいた
マレー半島にいる華僑と違って、インドネシア土着の中国人をあ表す「海峡華人」のような言葉は使われない
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
インドネシアでは宝石や貴石に不思議な力が宿っていると信じられている
キャンバスの中では被写体の女性もヒジャブをかぶらなくてもいいような気がするけれど、そうもいかないのかもしれない
歩道に並べられた作品を見ると肖像画が人気のようで、バリ島のように神話の世界を描いた作品は少なかった
古銭商の店先に沢山並んでいたので、第二次世界大戦末期の日本軍はかなりの量の軍票を発行したのだろう
かつて渋滞を解消するシステムとして、Three-In-Oneという1台の車に少なくとも3人乗ってなければならない規制がなされていた
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
インドネシアの特殊出生率は予想外に低い
時代の趨勢なのか、ジャカルタ随一の観光地であるファタヒラ広場でも絵葉書を売っている人はひとりもいなかった
インドネシアは世界第4位のコーヒー豆の生産国だ
ジャカルタ(インドネシア)
旧バタビアはジャカルタの旧市街とはいえ、町の全てが旧態依然としている訳ではなく、というより、ほとんどの場所は至って普通の町並みだ
旧バタヴィアに建つ見張り塔(ジャカルタ)
バタビアの時代からずっと見張り塔は見張り続けている
人口の5%程度しかいない華僑がインドネシア経済の90%ほどを握っているといわれている
ジャカルタは赤道に近く、1月であっても最高気温は30度を超える南国だ
小屋の床に鷄爪が散乱していた
ぷくぷくに膨らんだプテのさやを見ていると、中から何か出てきそうでちょっと怖い
ジャカルタの路上に出ていた屋台の上にミシンが備え付けられていた
ジャカルタに架かるコタ・インタン橋は1628年に架けられた橋でインドネシアに残る唯一の植民地時代の吊り橋なのだそうだ。
ジャカルタでオランダ東インド会社が作った重厚な町並みが綺麗に保存されている区画はそれほど広くはない
オタ・オタとは魚のすり身にタピオカとスパイスを混ぜたものをバナナの葉で包んで焼いたストリートスナックだ
時間が経っても写真の中のアバヤの女性が誰だったのか、きちんと覚えているものなのだろうか
比丘尼
シルエット
入り口
市場
柱
親子