タマン・サリ地区(ジャカルタ)
ジャカルタの住宅街では建物と建物の間に人が通れるような隙間があることもあった
ジャカルタの路地の入口にはベンチが置いてあって、井戸端会議を開けるようになっていた
グロドック地区(ジャカルタ)
グロドックの路地にはバイクが何台も停められていて、ただでさえ狭い路地がより一層狭くなっていた
中華文化圏で油条と呼ばれている細長い揚げパンは、インドネシアではチャクウェと呼ばれている
ジャカルタの密集した住宅街には濃厚な近所付き合いが今でも残っているのかもしれない
ジャカルタの住宅街では子どもも大人も路地でダラダラと時間を過ごしていた
ジャカルタの人は外国人が珍しくないのか、興味がないのか、あまり観光客がいないような場所を歩いていても耳目を集めることはない
ジャカルタ(インドネシア)
ジャカルタの住宅街を歩いていて、猫と遭遇する確率は高い
お店が閉まっていて、日曜日の住宅街に穏やかな空気が漂っていた
インドネシアで走っているハンドルの前に座席が付いているベチャは、ベトナムで目にするシクロに似ている
インドネシアも他の東南アジア諸国と同じように水道水を飲むのは止めた方がいい
金徳院(ジャカルタ)
春節を祝うという中華文化は金徳院の境内に閉じ込められていた
猫も良い春節を迎えられるように金徳院にお参りしに来ていたのかもしれない
日本でお参りするときは胸の前で合掌するけれど、東南アジアでは胸の前でなく頭よりも手を高く上げて合掌するのが一般的だ
東南アジアにある中国寺院にはお堂の中にいくつも祭壇が設けられていることが多い
金徳院(インドネシア)
若い人たちの中には春節を祝うよりも、今やっているゲームの進捗状況の方がずっと大切だと感じている人もいる
中華文化では年末にかまどの神様を天に送り、新年になると再び天からかまどの神様を迎え入れるとされている
赤いワンピースと赤いバッグと赤い線香はすべて金運のためかもしれない
中華人民共和国の国旗が赤を基調にしているのは、赤が資本家と労働者の階級闘争のシンボルになっている
放生するのをお互いに撮影している様子は、徳を積む行為というよりも、売れないアイドルの撮影会のような雰囲気だった
金徳院で放生を行い、地道に得を積んでいる人がいた
地元の子どもたちは金徳院の観音菩薩にも香炉にも興味はなかった
スラビはインドネシアの伝統的なお菓子で、米粉にココナッツミルクや砂糖を混ぜたパンケーキのようなものだ
屋台で寝ていた男が寝ぼけ眼で僕を見て、取ってつけたように両手の親指を立ててくれた
ベチャの語源は中国語の福建方言で馬車のことをベチャと呼ぶことに由来しているらしい
ジャカルタには急速に発展している大都市という顔と、昔ながらのお店が営業している町という顔の二つの側面がある
ジャカルタでは配車サービスのGrabとGojekがしのぎを削っている
大史廟(ジャカルタ)
ジャカルタにある大史廟には祭壇がいくつも設けられていて、神様があちらこちらに祀られている
中国寺院を訪れるといつも思うのだけれど、中国寺院にはいくつもの神様が同じお堂の中に祀られていることが多い
道教の神様だけでなく、仏教系や儒教系の神様も祀られていて、大史廟に祀られている神様の種類は多い
男は門前の小僧ならぬ、中国寺院門前の仕立屋だった
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタを走り回るオート三輪のタクシーは青色と決まっているようだ
道端に靴の修理屋があるのは、ジャカルタの人が物を大切に扱うからだけでなく、購入した方が人が修理よりも高く付くことを示している
ジャカルタの屋台でチンチャオと呼ばれる薬草から作ったゼリーが売られていた
ジャカルタを歩いているとよく猫に遭遇する一方で、犬に遭遇することはほとんどない
インドネシア語でお米はナシという
ジャックと豆の木に出てくるえんどう豆はプテのように大きいものに違いない
路地にぶら下がっていたバナナは売れ残りではなく、吊るすことによってここが青果店であることを無言でアピールしているのかもしれない
マレーシア語とインドネシア語は多少の違いはあるにせよ、お互いに意思の疎通は難なく図れるくらいに近いものらしい
ジャカルタにはストリート・フードが溢れていて、歩いている最中に小腹が減っても食べるのに困ることはない
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