グロドック地区(ジャカルタ)
猫への愛は信仰の一側面である、と預言者ムハマンドは言っているらしい
グロドック(ジャカルタ)
きちんと招福駆邪するためのお金を渡していたから、男は笑顔で応じてくれた
ソンコという帽子はトルコ帽にもテュベテイカにもネパールのトピという帽子にも似ている
獅子頭を付けていた男にいくばくかのお金を渡したら、獅子頭を持ち上げて満面の笑みを浮かべてくれた
圧倒的多数を占めるイスラム教徒に配慮しているのか、インドネシアでお酒を売っている場所はあまりない
ジャカルタのチャイナタウンで若い男がニンニクを刻んでいた
マレー半島にいる華僑と違って、インドネシア土着の中国人をあ表す「海峡華人」のような言葉は使われない
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
インドネシアでは宝石や貴石に不思議な力が宿っていると信じられている
キャンバスの中では被写体の女性もヒジャブをかぶらなくてもいいような気がするけれど、そうもいかないのかもしれない
歩道に並べられた作品を見ると肖像画が人気のようで、バリ島のように神話の世界を描いた作品は少なかった
古銭商の店先に沢山並んでいたので、第二次世界大戦末期の日本軍はかなりの量の軍票を発行したのだろう
かつて渋滞を解消するシステムとして、Three-In-Oneという1台の車に少なくとも3人乗ってなければならない規制がなされていた
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
インドネシアの特殊出生率は予想外に低い
時代の趨勢なのか、ジャカルタ随一の観光地であるファタヒラ広場でも絵葉書を売っている人はひとりもいなかった
インドネシアは世界第4位のコーヒー豆の生産国だ
ジャカルタ(インドネシア)
旧バタビアはジャカルタの旧市街とはいえ、町の全てが旧態依然としている訳ではなく、というより、ほとんどの場所は至って普通の町並みだ
旧バタヴィアに建つ見張り塔(ジャカルタ)
バタビアの時代からずっと見張り塔は見張り続けている
人口の5%程度しかいない華僑がインドネシア経済の90%ほどを握っているといわれている
ジャカルタは赤道に近く、1月であっても最高気温は30度を超える南国だ
小屋の床に鷄爪が散乱していた
ぷくぷくに膨らんだプテのさやを見ていると、中から何か出てきそうでちょっと怖い
ジャカルタの路上に出ていた屋台の上にミシンが備え付けられていた
ジャカルタに架かるコタ・インタン橋は1628年に架けられた橋でインドネシアに残る唯一の植民地時代の吊り橋なのだそうだ。
ジャカルタでオランダ東インド会社が作った重厚な町並みが綺麗に保存されている区画はそれほど広くはない
オタ・オタとは魚のすり身にタピオカとスパイスを混ぜたものをバナナの葉で包んで焼いたストリートスナックだ
時間が経っても写真の中のアバヤの女性が誰だったのか、きちんと覚えているものなのだろうか
ファタヒラ広場の馬車も飾り付けがされていて観光地的な空気を漂わせているものの、御者は僕を見ても特に反応しなかった
インドネシアでは場所によって馬車が今でも現役の交通機関として使われているところもあるようだけど、ここジャカルタではもっぱら観光用だ
ジャカルタ有数の観光名所であるファタヒラ広場の周辺で、大勢の人が商売している
ジャカルタ・コタ駅(ジャカルタ)
観光名所のファタヒラ広場はジャカルタ・コタ駅からすぐ近くにある
ジャカルタではアンコットもバジャイも青い車両ばかりだ
世界で最も多く島嶼を抱えるインドネシアは、世界で一番多くのイスラム教徒を抱える国でもある
コタ駅近くで大量のバジャイという三輪タクシーが客待ちをしていた
インドネシアのバジャイは何十台と抱えるオーナーから日払いで車両をレンタルした運転手が営業するのが一般的らしい
ブランド名がそのまま一般名詞になってしまっているのは、携帯オーディオプレーヤーをウオークマンと呼んでいたのと似たようなものだろう
ジャカルタは中央ジャカルタ市、南ジャカルタ市、西ジャカルタ市、東ジャカルタ市と北ジャカルタ市から成る都市圏人口が3000万人を超えるメガシティだ
道端のバス停に設けられたベンチにふたりの男が腰掛けてダラダラとしていた
ラヤ・マンガ・ベサール通り(ジャカルタ)
果物の王様と呼ばれるフルーツは場所によって違っている
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りには多くの屋台が出ている
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りにはドリアンばかりを扱う果物屋もあった
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