ムンバイ(インド)
絡まり合った電線は、このエリアに暮らす人々の複雑に絡み合った生活を象徴しているかのようだった
チャイを片手にクッキーをつまむ光景は、インドのどの街や村でも見かけるありふれた日常だ
ムンバイだけで一日にどれくらいのサトウキビが消費されているのか想像すると、その量は膨大で、サトウキビが尽きる心配さえしてしまう
ムンバイでは公共交通機関や鉄道が中心部の移動を支えており、個別のリクシャーやタクシーの需要が相対的に低いのかもしれない
これからも人口ボーナスを享受し続けると予想されるインドでは、バイクの販売台数も増加の一途をたどり、ヘルメットの需要も高まることだろう
ムンバイでは日本で馴染みのないDUKEというブランドのレモネードが売られていた
頭上運搬はインドやアフリカのように現在も日常的に行われている地域がある一方で、かつては日本やヨーロッパでも一般的だったようだ
インドは世界有数の砂糖生産国であり、サトウキビの生産量ではブラジルに次いで世界第2位なのだ
昔ながらの素焼きの器の場合にあった、チャイを飲み終わると器を地面に叩きつけて割るという習慣は少なくなっているようだ
荷物を運んでいる人たちは購入者ではなく、商品をどこかへ届ける運送人と思われるものの、判断に迷う人もいる
最初は頭上に載せるつもりだったのだろうけれど、何かの理由でそれがうまくいかなかったのかもしれない
素人目には台車を使うのが一番楽そうに見えるけれど、ここでの作業にはその場でしか通用しない効率や経験則があるのだろう
問屋が軒を連ねる路地を商品ばかりが行き交っていて、人間は脇役だった
日本では荷物を頭上に載せて運ぶ術は廃れてしまって、ロストテクノロジーになってしまっている
問屋街の賑わいの中で屋台の存在は欠かせず、労働者たちが重労働の合間に腹ごしらえをするための食べ物が手軽に提供されている
一度トラックが荷物を運び込むと、彼らは荷車に荷物を積み込み、右へ左へと動き回り始める姿は、まるで街全体が急に目を覚ましたかのようだ
多種多様な荷物を運びきるこの仕組み自体が、問屋街のダイナミズムを支えているのかもしれない
街角の素朴なスタンドと、ブランド品のサンダルは奇妙な組み合わせだった
日傘の下で男はハサミを手にしながらサンダルの修理に取り掛かっていた
大勢の人が集まる場所にはそれに付随して様々な役割が生まれているのだろう
問屋街を行き交うのは手動の荷車か、時にはそれさえも使わず、直接荷物を肩や頭に載せて運ぶ人々の姿だ
狭くても人通りが絶えない路地は、何か面白いことが潜んでいる可能性が高い
人びとの額にその粉でビンディをつけてる所作は、見ているだけでもどこか宗教的な儀式のような雰囲気を醸し出していた
ふと微笑みを浮かべた瞬間、その柔らかい表情にどこか日常から解放された空気を感じた
パンジャーブ料理がインド料理の代表格となったのはパキスタン分離独立に伴い、多くのパンジャーブ系スィク教徒が難民としてムンバイに移り住んだことが関係しているという
お供え物を買うのは当然として、思わず目についた玩具や雑貨を手に取ってしまう人も少なくないと思われる
ムンバイという名の由来は、漁民たちの信仰を集めていたシヴァ神の妃パールヴァティーの異名である「ムンバ」にあると言われている
労働者たちが袋を肩に担ぎ、トラックの荷台から次々とタマネギを運び下ろしていた
賃金が高く、燃料費が安いという地域特性がイギリスの産業革命へと繋がっていったという
回転する大きなヤスリはお店の中で目立つ存在で、このお店が研磨専門の店であることを象徴しているかのようだった
声を掛けてくる人の中には写真を「撮ってもらう」ことが重要であり、その出来栄えにはさほど興味がない人も多い
スマートフォンが普及し、誰もが気軽に写真を撮れる時代には子どもたちがカメラに興味を持たなくなると思っていた
今後約30年もの間、インドは人口ボーナスを享受できると言われている
サリーを着た女性はインドでは数え切れないほどいるのだけれど、日本から来た僕には新鮮に映ってしまう
インドは世界でトップ10に入るコーヒーの生産国だけれど、ムンバイではコーヒーの存在感は薄い
変化というものは、知らないうちに感覚の基準を塗り替えてしまうのだ
安全よりも効率を重視したこの仕組みには、どこか納得しがたいものを感じてしまう
ここでは発車ベルが鳴ることもアナウンスが流れることもなく、何の前触れもなく電車が目的地に向かって動き出す
世界遺産に登録されている駅舎の入口は、どこかヨーロッパにある教会の入口を思い起こさせるような重厚な造りをしていた
ビンロウジを使った嗜好品は規制しようという動きもあるらしいけれど、今でもインド中で当たり前のように売られている
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