ジャカルタ(インドネシア)
旧バタビアはジャカルタの旧市街とはいえ、町の全てが旧態依然としている訳ではなく、というより、ほとんどの場所は至って普通の町並みだ
人口の5%程度しかいない華僑がインドネシア経済の90%ほどを握っているといわれている
ジャカルタは赤道に近く、1月であっても最高気温は30度を超える南国だ
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
オタ・オタとは魚のすり身にタピオカとスパイスを混ぜたものをバナナの葉で包んで焼いたストリートスナックだ
ラヤ・マンガ・ベサール通り(ジャカルタ)
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りにはドリアンばかりを扱う果物屋もあった
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りは広いけれど、街灯はほとんどなく薄暗い
羽田空港(東京)
ガラス張りの窓の外にどこからか飛んできた日本航空機が滑走路を走っていた
恵比寿ガーデンプレイス(東京)
恵比寿ガーデンプレイスはエビスビールの工場跡地だけれど、今では工場であったことを示すものはあまりない
代官山アドレス(東京)
代官山の辺りは「山」と地名に付いているだけあって起伏が激しい
外の様子が写り込んでいるガラス戸の中へ入っていくのを眺めていると、鏡の世界に入っていくようだった
神田明神(東京)
神田明神の門前になぜだか二階建てバスが停まっていた
銀座(東京)
特に探しているわけでもないのに、見つけると気になってしまうのが螺旋階段だ
汐留(東京)
暗闇の中で動くエスカレータは暗黒の地下世界から平穏な地上階への避難経路のようだった
FREDDY LECK sein WASCHSALON TOKYO(東京)
カフェのあるコインランドリーはオシャレなだけでなく、実用的だ
エラワン廟(バンコク)
ヒンドゥー教の廟で放生という仏教の儀式も行われるようだ
バンコク(タイ)
バンコクで路線バスに乗るにはViaBusというアプリが便利だ
バンコク市内の道は、タノンという大通りと、そこから枝分かれした細い道であるソイに大別できる
ダムヌン・サドゥアック水上マーケット(タイ)
ダムヌン・サドゥアックで水上マーケットに浮かぶボートで色々な種類のフルーツが売られていた
ダムヌン・サドゥアック水上マーケットは観光市場だから、観光客が少ないと人びとは暇そうだった
水上マーケットで日差しを避ける帽子は必需品だ
のどかな水上マーケットに地元の人の世間話の花が咲いていた
運河を自由自在に行き来するのは楽しそうなものの、毎日同じ場所を通っていたらすぐに飽きてしまいそうだ
ダムヌン・サドゥアック水上マーケットでは果物屋もお土産物屋も暇そうだった
伝統的なンゴブという帽子をかぶった女性の船頭は両手でしっかりとオールを握りしめていた
波止場に横付けされたボートはガラガラで、観光客を待っていた
地元の人は運河で開かれる水上マーケットではなく、陸上にあるスーパーマーケットに買い物に行くのかもしれない
水上マーケットというのは商品を積んだ舟と買い物客の舟でひしめいているものだと思っていたけれど、ダムヌン・サドゥアック水上マーケットはそうではなかった
ダムヌン・サドゥアック水上マーケットにのどかな雰囲気が漂っていた
マハーチャイ駅(マハーチャイ)
マハーチャイの薄暗いプラットフォームにはやかましいアナウンスが流れることもなく、穏やかな空気が漂っていた
マハーチャイ(タイ)
まるでマハーチャイでは八百屋で働く人は黄色の服を着なければならないと決まっているかのようだった
昔ながらの雑誌販売店の前にサムローという自転車タクシーが停車していた
線路脇にもっと多くのお店が出現したら、メークロンと同じように観光客を惹きつける場所になるかもしれない
メークロン(タイ)
ガイドブックを開いても、メークロンのページには線路市場以外のことは何も書かれていない
メークロン線路市場(タイ)
タイでは60を超える種類の品種のマンゴーが栽培されているらしい
ターミナル21(バンコク)
このご時世に船で旅立つ人は少ないけれど、今でも灯台は未知なる世界への船出を連想させるものなのだ
クロントゥーイ市場(バンコク)
クロントゥーイ市場の魚屋で、女性が前掛けをすることもなく、綺麗な花柄のシャツを着て客に売ることに専念していた
JJモール(バンコク)
JJモールのフードコートは、旅行者には分かりにくい仕組みだった
チャトゥチャック市場(バンコク)
広大なチャトゥチャック市場は、商品ごとに区画分けがなされている
チャトゥチャック市場が今の場所に移転してきたのは1982年のことなので、全体的にそれほど古くなく、通路もきちんと整備されている
BTSモーチット駅からチャトゥチャック市場へ続く道は大混雑していた
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