タマン・サリ地区(ジャカルタ)
ケトプラックは米をおはぎ状にかため、もやしやココナッツミルク、唐辛子などを混ぜて食べるジャカルタのローカルフードだ
タマン・サリ地区の住宅街には自動車も自転車タクシーも見当たらず、道の上を行き来しているのは普段着の地元の人だけだった
町中すべてが高層ビルになったら、幼い女の子がお父さんと道端でのんびりするようなこともなくなるのだろう
ジャカルタの路地の入口にはベンチが置いてあって、井戸端会議を開けるようになっていた
グロドック地区(ジャカルタ)
ジャカルタの住宅街では子どもも大人も路地でダラダラと時間を過ごしていた
インドネシアも他の東南アジア諸国と同じように水道水を飲むのは止めた方がいい
金徳院(ジャカルタ)
春節を祝うという中華文化は金徳院の境内に閉じ込められていた
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタの屋台でチンチャオと呼ばれる薬草から作ったゼリーが売られていた
ジャカルタにはストリート・フードが溢れていて、歩いている最中に小腹が減っても食べるのに困ることはない
マレー半島にいる華僑と違って、インドネシア土着の中国人をあ表す「海峡華人」のような言葉は使われない
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
歩道に並べられた作品を見ると肖像画が人気のようで、バリ島のように神話の世界を描いた作品は少なかった
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
時代の趨勢なのか、ジャカルタ随一の観光地であるファタヒラ広場でも絵葉書を売っている人はひとりもいなかった
ジャカルタ(インドネシア)
旧バタビアはジャカルタの旧市街とはいえ、町の全てが旧態依然としている訳ではなく、というより、ほとんどの場所は至って普通の町並みだ
人口の5%程度しかいない華僑がインドネシア経済の90%ほどを握っているといわれている
ジャカルタは赤道に近く、1月であっても最高気温は30度を超える南国だ
オタ・オタとは魚のすり身にタピオカとスパイスを混ぜたものをバナナの葉で包んで焼いたストリートスナックだ
ラヤ・マンガ・ベサール通り(ジャカルタ)
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りにはドリアンばかりを扱う果物屋もあった
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りは広いけれど、街灯はほとんどなく薄暗い
羽田空港(東京)
ガラス張りの窓の外にどこからか飛んできた日本航空機が滑走路を走っていた
恵比寿ガーデンプレイス(東京)
恵比寿ガーデンプレイスはエビスビールの工場跡地だけれど、今では工場であったことを示すものはあまりない
代官山アドレス(東京)
代官山の辺りは「山」と地名に付いているだけあって起伏が激しい
外の様子が写り込んでいるガラス戸の中へ入っていくのを眺めていると、鏡の世界に入っていくようだった
神田明神(東京)
神田明神の門前になぜだか二階建てバスが停まっていた
銀座(東京)
特に探しているわけでもないのに、見つけると気になってしまうのが螺旋階段だ
汐留(東京)
暗闇の中で動くエスカレータは暗黒の地下世界から平穏な地上階への避難経路のようだった
FREDDY LECK sein WASCHSALON TOKYO(東京)
カフェのあるコインランドリーはオシャレなだけでなく、実用的だ
エラワン廟(バンコク)
ヒンドゥー教の廟で放生という仏教の儀式も行われるようだ
バンコク(タイ)
バンコクで路線バスに乗るにはViaBusというアプリが便利だ
バンコク市内の道は、タノンという大通りと、そこから枝分かれした細い道であるソイに大別できる
ダムヌン・サドゥアック水上マーケット(タイ)
ダムヌン・サドゥアックで水上マーケットに浮かぶボートで色々な種類のフルーツが売られていた
ダムヌン・サドゥアック水上マーケットは観光市場だから、観光客が少ないと人びとは暇そうだった
水上マーケットで日差しを避ける帽子は必需品だ
のどかな水上マーケットに地元の人の世間話の花が咲いていた
運河を自由自在に行き来するのは楽しそうなものの、毎日同じ場所を通っていたらすぐに飽きてしまいそうだ
ダムヌン・サドゥアック水上マーケットでは果物屋もお土産物屋も暇そうだった
伝統的なンゴブという帽子をかぶった女性の船頭は両手でしっかりとオールを握りしめていた
波止場に横付けされたボートはガラガラで、観光客を待っていた
地元の人は運河で開かれる水上マーケットではなく、陸上にあるスーパーマーケットに買い物に行くのかもしれない
水上マーケットというのは商品を積んだ舟と買い物客の舟でひしめいているものだと思っていたけれど、ダムヌン・サドゥアック水上マーケットはそうではなかった
ダムヌン・サドゥアック水上マーケットにのどかな雰囲気が漂っていた
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