ジャカルタ(インドネシア)
濃淡のある瓦屋根が続く町並みを上から見たら綺麗なのだろうけれど、周囲に背の高い建物はなかった
油で覆われたような水路が家々の間を流れていた
駅周辺のごちゃごちゃした路地を整理したがる再開発は地元の活力を奪っているのではないだろうか
男たちが路地にたたずんで路地の向こうから来る人を待ち構えているようだった
人の流れが淀むところにはベチャも停まっているし、人びともたむろしている
グロドック地区(ジャカルタ)
真っ赤な提灯がいくつもぶら下がっているのを目にするとチャイナタウンということを実感する
バナナがおやつに含まれるのかどうか、それが問題だった
あったのだとしても気にかけていなければ気が付かない、ということはよくあることだと思う
プテという食材はインドネシアではメジャーで、様々な料理に使われているのだそうだ
Vihara Avalokitesvara(観音寺)(ジャカルタ)
インドネシアの仏教寺院にヒンドゥー教の最高神であるブラフマーが祀られていた
ジャカルタの橋の上で瓶詰めされた軽油が売られていた
インドネシアでは小腹が空いた時にフルーツを食べるという習慣はないのかもしれない
インドネシア語の兄弟呼称は年上なのか、年下なのかは分かりづらい
僕にはわかrないけれど、一口にヒジャブと言っても巻き方が色々あって、巻き方を見ればどの地方の人なのかわかるらしい
路上で食べ物を売る人は、電気やガスも自分で用意しなければならないし大変だ
ドラマや映画を撮影するときに、お金持ちの家が舞台の時はあまり物を置かず、貧乏を表現したい時には物をゴチャゴチャ置くのだという
ジャカルタではバイクを自宅の敷地内にしまうという習慣はないようで、路地には沢山のバイクが駐められている
ジャカルタの日常に溶け込んでいるコンビニだけれど、住宅が密集しているところで見掛けることはあまりない
ジャカルタの道端に出ている屋台は社交場としても機能しているようだ
ジャカルタのコンビニでも電子マネーでキャッシュレス決済が可能だ
野菜のフリッターであるバクワンなら、車を運転していても食べやすいに違いない
パサール・バル(ジャカルタ)
サワー・ブサル地区にあるパサール・バルという通りは1820年の初頭に造られた歴史ある商店街だ
サワー・ブサル地区(ジャカルタ)
ジャカルタの路地にあった食堂には、ヒジャブを付けていない女性も食事を摂っていた
イスティクラル・モスク(ジャカルタ)
アラブ世界のモスクには物乞いがいることが多いけれど、イスティクラル・モスクの中には物乞いの姿がなかった
イスティクラル・モスクは東南アジア最大のモスクで、世界でも3番めの収容人数を誇る巨大なモスクだ
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
ハヤム・ウルク通にあるバス停は立派でMRTなどの駅に見劣りしないものだ
ハヤム・ウルク通りはバスレーンもあるような大きな通りだけれど、屋台はあちらこちらに出ている
タマン・サリ地区(ジャカルタ)
バクソと呼ばれる団子上のものを麺と一緒に食べるものを出すお店は賑わっていた
ケトプラックは米をおはぎ状にかため、もやしやココナッツミルク、唐辛子などを混ぜて食べるジャカルタのローカルフードだ
タマン・サリ地区の住宅街には自動車も自転車タクシーも見当たらず、道の上を行き来しているのは普段着の地元の人だけだった
町中すべてが高層ビルになったら、幼い女の子がお父さんと道端でのんびりするようなこともなくなるのだろう
ジャカルタの路地の入口にはベンチが置いてあって、井戸端会議を開けるようになっていた
ジャカルタの住宅街では子どもも大人も路地でダラダラと時間を過ごしていた
インドネシアも他の東南アジア諸国と同じように水道水を飲むのは止めた方がいい
金徳院(ジャカルタ)
春節を祝うという中華文化は金徳院の境内に閉じ込められていた
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタの屋台でチンチャオと呼ばれる薬草から作ったゼリーが売られていた
ジャカルタにはストリート・フードが溢れていて、歩いている最中に小腹が減っても食べるのに困ることはない
マレー半島にいる華僑と違って、インドネシア土着の中国人をあ表す「海峡華人」のような言葉は使われない
歩道に並べられた作品を見ると肖像画が人気のようで、バリ島のように神話の世界を描いた作品は少なかった
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
時代の趨勢なのか、ジャカルタ随一の観光地であるファタヒラ広場でも絵葉書を売っている人はひとりもいなかった
人びと
乗り物
町角
食べ物
動物
建築