馬車道駅では改札内で待っている人びとがシルエットになっていた

馬車道のシルエット
馬車道駅
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横浜の馬車道で電車を降りた。馬車道なんて素敵な地名だ。かつてこの辺りを外国人が馬車で往来していたことから、馬車道と呼ばれるようになったのだという。不思議なことに昔の日本に馬車という乗り物はない。武士は馬に乗って戦っていて、武田信玄のように騎馬隊を抱えていた武将もいたものの、日常生活に馬車は登場しない。そのため横浜の外国人居留地で馬車に乗って移動する外国人の姿が日本人には奇異に映ったようだ。

そもそもここ横浜に外国人居留地が設けられたのは江戸幕府が1858年に日米修好通商条約を結んだことに端を発する。すでに開港していた下田と箱館に加え、神奈川、長崎、新潟、兵庫、江戸と大坂の5港を開港することになったのだ。そう、当初の予定では横浜は開港のリストに挙がっていない。その代わりに挙がっていたのは神奈川だ。神奈川と言うと県名かと思ってしまうけれど、神奈川は今で言う神奈川県横浜市神奈川区にあった港だ。

しかしながら日本人と入港する外国人との間の紛争を避けるために、幕府は横浜を神奈川の一部と称し、神奈川湊の対岸にある横浜村に港湾施設や居留地を作って開港してしまった。面倒を避けるためにちょっと嘘をついたのだ。結果として、ただの寒村だった横浜は東海道の宿場町だった神奈川を飲み込み発展し、日本有数の大都市になっている。寒村が条約港になって発展したのは中国上海と同じだ。

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ENGLISH
2021年5月 町角 神奈川
シルエット 横浜

PHOTO DATA

No

11922

撮影年月

2020年9月

投稿日

2021年05月30日

更新日

2023年08月22日

撮影場所

横浜 / 神奈川

ジャンル

ストリート・フォトグラフィー

カメラ

RICOH GR III

日本国内で撮影した写真とエッセイ

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