ジャカルタ(インドネシア)
ジャカルタではバイクを自宅の敷地内にしまうという習慣はないようで、路地には沢山のバイクが駐められている
ジャカルタの日常に溶け込んでいるコンビニだけれど、住宅が密集しているところで見掛けることはあまりない
ジャカルタの道端に出ている屋台は社交場としても機能しているようだ
ジャカルタのコンビニでも電子マネーでキャッシュレス決済が可能だ
野菜のフリッターであるバクワンなら、車を運転していても食べやすいに違いない
パサール・バル(ジャカルタ)
サワー・ブサル地区にあるパサール・バルという通りは1820年の初頭に造られた歴史ある商店街だ
サワー・ブサル地区(ジャカルタ)
ジャカルタの路地にあった食堂には、ヒジャブを付けていない女性も食事を摂っていた
イスティクラル・モスク(ジャカルタ)
アラブ世界のモスクには物乞いがいることが多いけれど、イスティクラル・モスクの中には物乞いの姿がなかった
イスティクラル・モスクは東南アジア最大のモスクで、世界でも3番めの収容人数を誇る巨大なモスクだ
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
ハヤム・ウルク通にあるバス停は立派でMRTなどの駅に見劣りしないものだ
ハヤム・ウルク通りはバスレーンもあるような大きな通りだけれど、屋台はあちらこちらに出ている
タマン・サリ地区(ジャカルタ)
バクソと呼ばれる団子上のものを麺と一緒に食べるものを出すお店は賑わっていた
ケトプラックは米をおはぎ状にかため、もやしやココナッツミルク、唐辛子などを混ぜて食べるジャカルタのローカルフードだ
タマン・サリ地区の住宅街には自動車も自転車タクシーも見当たらず、道の上を行き来しているのは普段着の地元の人だけだった
町中すべてが高層ビルになったら、幼い女の子がお父さんと道端でのんびりするようなこともなくなるのだろう
ジャカルタの路地の入口にはベンチが置いてあって、井戸端会議を開けるようになっていた
グロドック地区(ジャカルタ)
ジャカルタの住宅街では子どもも大人も路地でダラダラと時間を過ごしていた
インドネシアも他の東南アジア諸国と同じように水道水を飲むのは止めた方がいい
金徳院(ジャカルタ)
春節を祝うという中華文化は金徳院の境内に閉じ込められていた
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタの屋台でチンチャオと呼ばれる薬草から作ったゼリーが売られていた
ジャカルタにはストリート・フードが溢れていて、歩いている最中に小腹が減っても食べるのに困ることはない
マレー半島にいる華僑と違って、インドネシア土着の中国人をあ表す「海峡華人」のような言葉は使われない
歩道に並べられた作品を見ると肖像画が人気のようで、バリ島のように神話の世界を描いた作品は少なかった
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
時代の趨勢なのか、ジャカルタ随一の観光地であるファタヒラ広場でも絵葉書を売っている人はひとりもいなかった
旧バタビアはジャカルタの旧市街とはいえ、町の全てが旧態依然としている訳ではなく、というより、ほとんどの場所は至って普通の町並みだ
人口の5%程度しかいない華僑がインドネシア経済の90%ほどを握っているといわれている
ジャカルタは赤道に近く、1月であっても最高気温は30度を超える南国だ
オタ・オタとは魚のすり身にタピオカとスパイスを混ぜたものをバナナの葉で包んで焼いたストリートスナックだ
ラヤ・マンガ・ベサール通り(ジャカルタ)
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りにはドリアンばかりを扱う果物屋もあった
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りは広いけれど、街灯はほとんどなく薄暗い
羽田空港(東京)
ガラス張りの窓の外にどこからか飛んできた日本航空機が滑走路を走っていた
恵比寿ガーデンプレイス(東京)
恵比寿ガーデンプレイスはエビスビールの工場跡地だけれど、今では工場であったことを示すものはあまりない
代官山アドレス(東京)
代官山の辺りは「山」と地名に付いているだけあって起伏が激しい
外の様子が写り込んでいるガラス戸の中へ入っていくのを眺めていると、鏡の世界に入っていくようだった
神田明神(東京)
神田明神の門前になぜだか二階建てバスが停まっていた
銀座(東京)
特に探しているわけでもないのに、見つけると気になってしまうのが螺旋階段だ
汐留(東京)
暗闇の中で動くエスカレータは暗黒の地下世界から平穏な地上階への避難経路のようだった
FREDDY LECK sein WASCHSALON TOKYO(東京)
カフェのあるコインランドリーはオシャレなだけでなく、実用的だ
エラワン廟(バンコク)
ヒンドゥー教の廟で放生という仏教の儀式も行われるようだ
バンコク(タイ)
バンコクで路線バスに乗るにはViaBusというアプリが便利だ
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