ジャカルタ(インドネシア)
暑苦しい路地でダラダラしているのは人間ばかりではなかった
鳩の帰巣本能はすごいと言われているけれど、ここ数十年でレースに出ても巣に戻れない鳩が増えているらしい
ジャカルタの猫は邪険に扱われていはいなそうだった
ジャカルタには大きな通りが町を走っている一方で、脇道に逸れるとすぐに自動車も通れないような細い路地ばかりになってしまう
サワー・ブサル地区(ジャカルタ)
物だけでなく夢も売っているような雰囲気を醸し出すショッピング・モールが多いけれど、ジャカルタの路地の奥にあるショッピング・モールは違った
整備された商店街を歩いてもあまり楽しくないので、僕はパサール・バル通りから脇道に入っていったのだった
屋台の後ろに男たちがいるのだけれど、みなスマホに見入っていて、仕事をしているのか休んでいるのか判然としなかった
ギャラリーが立ち並んでいる歩道にある日陰で2匹の猫がゆったりとしていた
海外からメッセージを送る場合、あっという間に届くインターネット経由で送るよりも、いろいろな人の手を介して届く葉書の
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
ジャカルタのハヤム・ウルク通りには外資系のチェーン店が並んでいる場所もある
ジャカルタの住宅街を歩いていて、猫と遭遇する確率は高い
金徳院(ジャカルタ)
猫も良い春節を迎えられるように金徳院にお参りしに来ていたのかもしれない
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタを歩いているとよく猫に遭遇する一方で、犬に遭遇することはほとんどない
インドネシア語でお米はナシという
グロドック地区(ジャカルタ)
猫への愛は信仰の一側面である、と預言者ムハマンドは言っているらしい
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
ファタヒラ広場の馬車も飾り付けがされていて観光地的な空気を漂わせているものの、御者は僕を見ても特に反応しなかった
インドネシアでは場所によって馬車が今でも現役の交通機関として使われているところもあるようだけど、ここジャカルタではもっぱら観光用だ
クロントゥーイ市場(バンコク)
似たような顔で、似たような格好をして、毎日の満員電車を我慢している日本人はよく慣らされたアヒルと同じかもしれない
猫はカメラを持った面倒くさそうな人間がやって来たと思っていそうな顔をしていた
クロントゥーイ市場にはさばかれた鶏肉が売られているエリアとは別に生きたままの鶏が売られているエリアもある
チャイナタウン(バンコク)
頭だけを車道に出して、犬がラーマ4世通りを行き交う自動車たちを眺めていた
タイにもタイルンという国産自動車メーカーが存在している
旅行中に野良犬を見かけると警戒してしまうものの、野良猫を見かけてもなんとも思わない
中目黒(東京)
野生の白鷺にとって、いくら眺めても腹の足しにならない桜は心惹かれないものなのだろう
円融寺(東京)
参道の真ん中にお座りしていた犬は、まるで参道を邪悪なものから護る狛犬のようだった
ヤンゴン(ミャンマー)
朝食の輪に入れてもらえなかった犬がだらしなく寝ていた
動物も泥濘んだ土の上を歩くのは嫌なようで、人間と同じように飛び石の上を歩くのだった
タニン(ミャンマー)
静かにのんびり過ごしていた住民とは対照的に豚小屋の豚の方が好奇心旺盛だった
犬は可愛いのだけれど、狂犬病が怖いので迂闊に近寄れない
ミョーマ市場(タニン)
2階の廊下は商売するには向いていないけれど、昼寝するには格好の場所になっている
生きている鶏が売られていたけれど、鶏を絞めている肉屋の姿を見かけたことは一度もなかった
中国文化では公共の建物でもないのに、なぜ建物の名前を大きく書いたものを入り口の上に飾るのだろう
椿山荘(東京)
駐車場は鋭い視線を投げかける猫の縄張りだったのかもしれない
トンブリー駅(バンコク)
線路脇の掘っ立て小屋
バンコク(タイ)
人間が寛ぐにはちょっと寂しすぎる路地も、その静寂は猫の好みに合致するのかもしれない
路地を歩いていると、モスクがあったのでイスラム教徒のコミュニティのようだ
ポーンプラープ区(バンコク)
地元の老人たちが腰を下ろしてのんびりしている横で猫もすっかりくつろいでいた
プラナコーン区(バンコク)
弁当箱を広げて中のものをつつく男の横で、猫はお裾分けが来るのを待っていた
バーンレーム(タイ)
メークロンとバンコクを結ぶメークロン線は、バーンレームの町で分断されてしまっている
バーンレーム駅(バーンレーム)
見慣れない人間の出現に、駅舎にいた犬たちはちょっと興奮気味だった
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