高輪に建つ廣岳院は幕末にプロイセン公使の宿舎だったところで、この時やって来た東禅寺は幕末にイギリス公使館だったところ。幕末の品川に外国の公使館があったのは、幕府が品川御殿山に諸国の公使館を建てるのを約していたのも一因だろう。結局は建設されることのなかった御殿山公使館は洋風建築で、 周囲に深い空堀と背の高い柵をめぐらし、攘夷派の襲撃に備えた構造だったという。
そう。時代は幕末、攘夷運動真っ盛りの時期だ。東禅寺もその煽りをしっかり受けている。イギリス公使館が置かれてしまったばっかりに時を1年と空けず2回も攘夷派によって寺が襲撃され、異国人を住まわせた「穢れた寺」と誹謗された結果、檀家であった有力大名が離れてしまい、経済的にも窮乏するという憂き目に遭ったという。
ちなみに高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文らもイギリス公使館を襲撃しているけれど、それは東禅寺ではない。品川御殿山で建設中だった公使館の方だ。高杉らに焼かれてしまった結果、御殿山公使館の計画は頓挫してしまい、江戸の治安に不安を感じたイギリスは横浜に公使館を構えることになった。全土の治安が悪いアフガニスタンの日本大使館が、カタールのドーハに移転しているのと同じだと思うと、幕末の江戸の治安が相当悪かったのが分かる。
2022年4月 建築 東京 | |
空 仏塔 高輪 寺院 |
No
12242
撮影年月
2022年2月
投稿日
2022年04月21日
更新日
2023年08月15日
撮影場所
高輪 / 東京
ジャンル
建築写真
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS LOXIA 2/35