理由を深く考えたことがなくとも、神社仏閣を訪れれば、お賽銭箱に賽銭を投げ入れる。拝観料ではないのだからお供えしなくてもいいのだろうけれど、しないときまりが悪い。誰かが見ているわけでもないのにズルしたような気分になってしまうのだ。
國學院大學のホームページによると、神社における賽銭はもともと神仏への念願が叶った感謝の意を表すものだったという。収穫した作物や狩猟した獲物を「初穂」として、感謝の印に奉納したのが始まりなのだそうだ。それが貨幣経済の発達とともに金銭に変わり今に至っている。
では仏閣における賽銭はなんなのだろうか。こちらは感謝というよりも喜捨に近いと考えられているようだ。そう考えると赤穂浪士で有名な泉岳寺の本堂横に鎮座している澤木興道老師像にお賽銭がお供えされているのも理解できる。明治から昭和を代表する曹洞宗の僧侶だった老師の手の周りに置かれているコインは喜捨の印。死してもなお喜捨を集め続けているのだ。純粋高潔な人物だったと称されるのは伊達ではない。
2022年4月 静物 東京 | |
手 お金 お供え物 像 高輪 寺院 |
No
12243
撮影年月
2022年2月
投稿日
2022年04月22日
更新日
2023年08月15日
撮影場所
高輪 / 東京
ジャンル
静物写真
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS LOXIA 2/35