泉岳寺が何宗の寺院なのかは知らなくとも、忠臣蔵に登場する赤穂浪士のお墓があるのを知っている人は多い。確かに境内には赤穂浪士のお墓の他にも、ゆかりの品を所蔵・展示している「赤穂義士記念館」もあって、どうしても赤穂浪士のイメージが付きまとう。
そもそも赤穂浪士が討ち入りのあとに泉岳寺にやって来たのは、ここにある亡き主君・浅野内匠頭の墓前に討ち取った吉良上野介の首を供えるためだ。つまり今でいう両国にあった吉良邸で獲った首を、高輪にある泉岳寺まで歩いて持ってきたということ。生首を持ってゾロゾロ歩く集団の姿を想像するとちょっと怖い。できれば出会いたくない集団だ。
首実検という言葉があるとおり、日本では古くから戦功を討ち取った敵将の首で判定してきた。そのため赤穂浪士たちも吉良上野介の首を獲ったのだろう。日本ではあまり違和感を持つ人のいないこのエピソードも、外国の人には全く別の印象を与えてしまう。外国の人にとって、これも単なる首狩りにすぎない。首狩り族なんて聞くと、日本人の多くがどこか辺鄙なところに生息する蛮族のイメージを持ってしまうものの、敵将の首をバンバン切っていたかつての日本人は、世界的に見れば十分すぎるくらいに首狩り族なのだ。
2022年4月 建築 東京 | |
門 高輪 寺院 |
No
12244
撮影年月
2022年2月
投稿日
2022年04月23日
更新日
2023年08月15日
撮影場所
高輪 / 東京
ジャンル
建築写真
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS LOXIA 2/35