古くから「一木一草に至るまで神宿る」と言われているように、日本の神の原型はモノに憑依する精霊と考えられている。字義通り木にも草にも宿るし、石にも山にも宿る。奈良にある大神神社の御神体は三輪山という山だし、群馬にある榛名神社の御神体は御姿岩という巨大な岩だ。
興味深いのは神が宿ると考えられているのが自然界のものだけではないということ。どこの神社でも行われている「車祓い」がその典型だろう。鎌倉に建つ鶴岡八幡宮でも車祓いは行われていて、お祓いを終えた神職が御幣を手に階段を上がっていた。交通安全を願う運転手だけでなく、その運転する車も同時にお祓いを受けるのは、心のどこかで工業生産された自動車にだって神は宿ると考えているからに違いない。
そのような中、昔メキシコで見かけた光景の意味を今でもときおり考える。教会の敷地に自動車が停められていて、横に立つアルバをまとった神父が聖水を車に振りかけながら何かをブツブツ喋っていたのだ。その光景は日本で行われる車祓いとそっくりで、何をしているのか気になったものの、スペイン語が話せない僕はその真偽を確かめられなかったのを今でも思い出す。神父に声をかけてはみたものの、意思の疎通を図れず、返ってきたのは3本指のピースサインだけだったのだ。
2022年3月 神奈川 人びと | |
鎌倉 神職 神社 階段 鳥居 |
No
12205
撮影年月
2022年1月
投稿日
2022年03月15日
更新日
2023年08月15日
撮影場所
鎌倉 / 神奈川
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS LOXIA 2/35