中華文化圏にある仏教寺院や道教寺院を訪れると、狭い敷地に様々な神様が祀られていて、それぞれが現世利益を謳っている。参拝客は自らの求める現世利益に対応した神様にお参りするため、ありとあらゆる現世利益に対応できるように大勢の神様が鎮座している。その構造はがめついイメージのある中華民族にピッタリだとひとりごちていたのだけれど、考えてみたら日本の神社も似たようなものだ。神社の境内には主祭神の他にも末社・摂社にそれぞれご利益の異なる神様が祀られている。
この日に訪れた三嶋大社の境内にも、いくつもの末社・摂社が鎮座している。応神天皇や神功皇后を祀った若宮神社を始め、見目神社もあるし、池の中には厳島神社も建っている。境内をウロウロしているうちに総門の近くにも小さな社が建っているのに気がついた。これも末社・摂社なのだろうか。
しばらくすると神職が現れてその小さな社の前に立ち止まる。閉じられていた扉を開けていたので、何をするのだろうと興味津々に眺めていると、神職が恭しく中から取り出したのは大幣だった。大幣を手にした神職は再び扉を閉じてどこかへ去っていく。総門の横にある社だと思ったものは、単なる大幣の保管箱なのかもしれない。
2024年1月 町角 静岡 | |
門 三島 神職 神社 |
No
12553
撮影年月
2023年6月
投稿日
2024年01月10日
撮影場所
三島 / 静岡
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R V
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF