上野にある不忍池は忍岡の畔にあるから不忍池と呼ばれるようになったという説がある。忍岡とは上野台地の古称。今は上野公園になっている辺りのことだ。でもそれだけではなぜ名前に否定を意味する不の字が用いられているのかわからない。忍岡に登らなくとも行けるから忍ばずの池になったのだろうか。
不忍池の真ん中には寛永寺の開祖天海が築かせた弁天島があり、弁天堂が建っている。1672年に橋が架けられるまで、弁天島は文字通りの島で船でなければお参りできなかったという。今では動物園通りから参道のような道がまっすぐに弁天堂まで伸びていて、船に乗る必要もなく簡単にお参りできるようになっている。
でも思うのだ。今でも船でしか行けない方が面白かったのではなかろうかと。かつての江ノ島やモン・サン・ミシェルののように引潮の時にしか行けないとか、海が荒れると行けないとか何かしら障害があった方が行けたときの達成感は格別に違いない。トコトコ歩いてお参りした僕に特別な満足感は微塵もなく、近所の神社を訪れたときと何ら変わらなかった。上野公園にある五條天神社の鳥居が並んだ細い参道を歩いたときの方が特別な感じがした気がする。
2021年12月 町角 東京 | |
香炉 提灯 屋根 寺院 上野 |
No
12133
撮影年月
2021年11月
投稿日
2021年12月27日
更新日
2023年08月19日
撮影場所
上野 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
EF135MM F2L USM