ここは大森貝塚のすぐ近く。貝塚があるということは、この辺りは縄文時代から人間が住みやすい場所だったということ。おそらくは水源が近くにありつつも、高台で洪水にあうこともなく、水はけがよい、そんな場所だったのだろう。大森の辺りは武蔵野台地の南端部である荏原台に属していて、貝塚以外にも50基あまりの古墳からなる荏原台古墳群も確認されている。縄文人にとって重要な場所だったのだ。
宗教史学者である中沢新一さんによると、半島や岬のような突出した地形には縄文時代以来、死者の埋葬にかかわる重要な聖地が設けられてきたのだという。今となっては海岸線は遠くになってしまっているものの、貝塚のあった辺りは海のすぐそばであったはず。中沢さんの説によれば、聖地を設けるのに適した場所だ。
そう思ってキョロキョロすると、大森貝墟の碑のすぐ近くに神社が鎮座していた。これは歴史ある神社に違いないと思ったけれど、調べたらそれほど古いものではなかった。確かに創建された年は詳細にわからないとされているものの、おそらく350年くらい前のことではないかとされている。古いかどうかと言われれば、古いものの縄文時代には遥かに及ばない。
2021年7月 建築 東京 | |
大森 神社 鳥居 |
No
11972
撮影年月
2021年1月
投稿日
2021年07月19日
更新日
2023年08月19日
撮影場所
大森 / 東京
ジャンル
建築写真
カメラ
RICOH GR III