カノマン市場(チルボン)
海洋貿易で栄えたチルボンにあるカノマン市場では海産物が多く売られている
インドネシアは世界第三位のバナナ生産大国だ
ジャカルタ(インドネシア)
カメラを向けると、男の子はその瞬間を待っていたかのように逃げていった
サワブサール駅(ジャカルタ)
タフに働くには昼寝して睡眠時間を補うのも必要なのだ
ジャカルタのサワブサール駅の周辺には商業施設が建ち並んでいる訳でもなく、普通のビルが並んでいるだけだった
大史廟(ジャカルタ)
中国寺院を訪れるといつも思うのだけれど、中国寺院にはいくつもの神様が同じお堂の中に祀られていることが多い
旧バタビアはジャカルタの旧市街とはいえ、町の全てが旧態依然としている訳ではなく、というより、ほとんどの場所は至って普通の町並みだ
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
オタ・オタとは魚のすり身にタピオカとスパイスを混ぜたものをバナナの葉で包んで焼いたストリートスナックだ
ジャカルタは中央ジャカルタ市、南ジャカルタ市、西ジャカルタ市、東ジャカルタ市と北ジャカルタ市から成る都市圏人口が3000万人を超えるメガシティだ
ラヤ・マンガ・ベサール通り(ジャカルタ)
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りには多くの屋台が出ている
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りにはドリアンばかりを扱う果物屋もあった
マハーチャイ駅(マハーチャイ)
スマホが普及してから日常も動画で撮影されるようになり、後世の歴史家にとって貴重な資料になるのだろう
マハーチャイ(タイ)
マハーチャイのような田舎町にも華僑がいて、華僑の大好きな金を扱う金行があるのだった
マハーチャイ埠頭(マハーチャイ)
メークロンとバンコクを結ぶ線路を繋がっておらず、途中で川を渡り、マハーチャイから別の列車に乗る必要がある
サムットサーコーン県(タイ)
あまり乗客の乗っていないメークロン線が閑散とした塩田の中を進んでいった
チャトゥチャック市場(バンコク)
チャトゥチャック市場はBTSの駅に近い反面、バンコクの中心部までは結構あって、トゥクトゥクに乗るという決断をするには微妙な場所だ
ワット・バンペーンチンプロット(バンコク)
カオは米、マンは油、ガイは鶏を意味していて、カオマンガイはそのまま海南風チキンライスを表している
エラワン廟(バンコク)
クメール文化の影響で、タイでも王権を正当化するために神王思想を採用したらしい
渋谷(東京)
東京の随一の繁華街である渋谷もかつては住宅街だった
大安区(台北)
とても便利なグーグルマップも料金の支払方法までは教えてくれない
寒川神社(寒川町)
寒川神社で横木からぶら下がる紐に用済みのおみくじを大量にくくりつけられていた
寒川神社の御祭神である寒川比古命と寒川比女命は記紀に記載がない神様だ
川崎大師(川崎)
平間兼乗という人物が弘法大師の木像を引き揚げたのが川崎大師の始まりだ
新橋駅(新橋)
新橋駅のこちらとあちらのプラットホームにひとりずつ立っていた
目黒駅(目黒)
スマホを見ているわけでもないのにサラリーマンが俯いて電車を待っていた
三軒茶屋(東京)
三軒茶屋の路地も、そのうち高層ビルに占拠されてしまうに違いない
ヤンゴン(ミャンマー)
ヤンゴンで色鮮やかな竹の帽子をかぶっている人を見かけるのは珍しくない
バゴー(ミャンマー)
イギリスの植民地だったけれど、ミャンマーは右側通行の国だ
シュエモードー・パゴダ(バゴー)
沢山の仏像の前に腰を下ろしていた女性
ヤンゴン中央駅(ヤンゴン)
ヤンゴン中央駅の雰囲気はのどかで、切符を買っているのか立ち話をしているだけなのかは判断が難しい
別れを惜しんでいたようで、列車が動き出すその時まで、女性と男性は何かを話し続けていた
ぶかぶかのシャツを着た子どもは自転車タクシーの座席に立ち上がって真っ直ぐに前方を眺めていた
ふたりが会話している時間と車道を走る自動車ばかりがこの周辺で流れていた
住宅街の惣菜屋で制服を着た幼い女の子が買い物していた
ローカルな雰囲気に包まれた路地で男の子がTシャツを捲って頭にかぶっていた
タニン(ミャンマー)
日本ではマイナースポーツであるセパタクローだけれど、ミャンマーではメジャースポーツだ
コンビニのないタニンではこのような小さなキオスクがとても重宝するに違いない
犬は可愛いのだけれど、狂犬病が怖いので迂闊に近寄れない
古本屋の棚に並んだ本はアウンサン将軍とその娘であるアウンサンスーチーの肖像が描かれている本が多かった
ダニンゴン(ヤンゴン)
ダニンゴン市場の道は舗装されておらず、ボコボコだ
老婆
タオル
階段
男性
鳥居
女性