ハノイ(ベトナム)
観光客向けの店が「見せる」ことに長けているとしたら、こうした商店は「暮らす」ことに徹している
台中国家歌劇院(台中)
台中国家歌劇院の中にいると劇場というよりも、巨大な彫刻の中でくつろいでいるような、不思議な感覚に襲われる
ムンバイ(インド)
ムンバイの住宅街、絡み合う電線とのどかな午後
路地を進んでも、地元の人びとは僕にほとんど興味を示さないどころか、僕の存在にすら気づいていないように見えた
明治神宮(東京)
落ち着いた雰囲気の中を明治神宮に行きたいなら参宮橋から向かうのがおすすめだ
函館港西ふ頭(函館)
見知らぬ猫と仲良くなるには僕も何かをプレゼントすればいいのかも
喜多院(川越)
喜多院には江戸城にあった建物の一部が移築されている
写真を撮った杉並区和泉(和泉)
車の下で我が物顔でくつろいでいた猫
日本民家園(川崎)
100年以上前に建てられた豪農の庭にキモンサマという鬼門除けの祠が建っていた
新宿御苑(内藤町)
新宿御苑にある休息所がいつのまにかスターバックスに変身していた
ジャカルタ(インドネシア)
再開発された町を散策しても面白く感じられないのは、人の流れがスムーズになりすぎているからではないだろうか
近所のモスクで集団礼拝が行われていても、参加しない男性も結構いる
人びとが忙しくしている中で、じっとしている男は何もしていないが故にとても目立っていた
ジャカルタには大きな通りが町を走っている一方で、脇道に逸れるとすぐに自動車も通れないような細い路地ばかりになってしまう
イスティクラル・モスク(ジャカルタ)
アラブ世界のモスクには物乞いがいることが多いけれど、イスティクラル・モスクの中には物乞いの姿がなかった
グロドック地区(ジャカルタ)
ジャカルタの人は外国人が珍しくないのか、興味がないのか、あまり観光客がいないような場所を歩いていても耳目を集めることはない
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタを歩いているとよく猫に遭遇する一方で、犬に遭遇することはほとんどない
ダムヌン・サドゥアック水上マーケット(タイ)
タイのンゴブという帽子は頭と不釣り合いに大きく見えるようだ
観光客向けの食堂にあった木箱の中で、男の子はタブレットPCを見ていた
クロントゥーイ市場(バンコク)
猫はカメラを持った面倒くさそうな人間がやって来たと思っていそうな顔をしていた
幼い頃からスマホのある世界に育った人間は、スマホの無い世界なんて想像もできないに違い
ヤンゴン(ミャンマー)
仏像があって、信心深いと言われるミャンマーの人たちがいるのだけれど、お参りしている人はひとりもいなかった
バゴー(ミャンマー)
バゴーはイギリスの植民地時代を通して1991年までペグーと呼ばれていた町を軍事政権が改名したところだ
バンコク(タイ)
混雑した通りを普通自動車に負けじとトゥクトゥクが走り回る光景はバンコクを代表する光景だ
プラナコーン区(バンコク)
路地に立ち並ぶ家々は開放的で、無防備に開けられた扉の奥に中の様子が見えて楽しい
籠の中を忙しく動き回っている鶏とは対照的に、男の波打ったお腹に時間を持て余している感じが滲み出ていた
ポーンプラープ区(バンコク)
女性の怠惰なムードはこの歩道にぴったり合っていた
プレーン・プートン通り(バンコク)
路上で寛いでいる人びとがいて日常生活を垣間見えるのかと期待したけれど、路上で寛いでいるのは猫ばかりだった
嘉義(台湾)
男の様子に何かしらの自由さと諦めが同居しているように見えた
水仙宮市場(台南)
シャッターの閉まった水仙宮市場で親子ふたりが我が家でくつろいでいるかのように楽しんでいた
ムルシダバッド(インド)
雨宿りする男たち
西念寺(四谷)
服部半蔵のお墓のある西念寺にはのどかな空気が漂っていた
ナシーク(インド)
お堂の周りの巡礼者
ムンバイの道端で散髪する青空床屋と人びとのダラダラとした日常
ピイ(ミャンマー)
寛ぐお婆さんと男の子
日陰で寛ぐ男
シュエダゴォン・パヤー(ヤンゴン)
お堂で寛ぐ老婆
ボグラ(バングラデシュ)
雑貨屋の前の笑顔と仏頂面
マイメンシン(バングラデシュ)
部屋の中にいた笑顔の男
バトゥ・パハ(マレーシア)
通路は社交場
窓
反射
駅
エスカレータ
女の子
労働者