高雄(台湾)
日本人にはあまりピンと来ないけれど、中華料理は広東料理など地域ごとにある下位カテゴリに分けられる
安くて美味しい朝食を提供してくれるお店が街のあちこちで旅行者を待ち構えているから、台湾に行ったらホテルで朝食を摂るのはもったいない
麻布(東京)
ドッグカフェに犬用の食事メニューがあるのかどうか僕は知らない
AKOMEYA TOKYO in la kagū(矢来町)
昭和40年代に建てられた倉庫の外観はそのままだったけれど、中はがらりと変わっていた
中目黒(東京)
薄暗い歩道で光るCURRY UPの看板を見るとなぜだかダイナーを思い浮かべてしまう
御徒町らーめん横丁(御徒町)
橋脚と橋脚の間にラーメン屋
うかい鳥山(八王子)
火鉢に描かれた文様は石庭を思い起こさせる
銀座(東京)
銀座の公衆電話の向こうに食品サンプルとブランドショップが見えた
有楽町産直横丁(有楽町)
有楽町産直横丁のガラス戸に鶏のイラストが描かれていた
恵比寿(東京)
レストランへ続く階段は惑星系のようなライトで飾られていた
ジャカルタ(インドネシア)
食堂で男が猫と並んで黙々と食べていた
チルボン(インドネシア)
男が眺めている方から穏やかな住宅街の平穏を破るものがやって来そうな感じがした
食品サンプルは日本で考案された表現手法のため、海外で店頭に料理が置かれている場合、ほぼ全てが本物だ
サワー・ブサル地区(ジャカルタ)
ジャカルタの路地にあった食堂には、ヒジャブを付けていない女性も食事を摂っていた
整備された商店街を歩いてもあまり楽しくないので、僕はパサール・バル通りから脇道に入っていったのだった
タマン・サリ地区(ジャカルタ)
バクソと呼ばれる団子上のものを麺と一緒に食べるものを出すお店は賑わっていた
グロドック(ジャカルタ)
インドネシア語でお米はナシという
ラヤ・マンガ・ベサール通り(ジャカルタ)
麺類を出す食堂にいたふたりの女の子は快く写真に応じてくれた
クロントゥーイ市場(バンコク)
クロントゥーイ市場の裏を走る大通り沿いに、モツを具材にした美味しい麺を出す食堂がある
JJモール(バンコク)
JJモールのフードコートは、旅行者には分かりにくい仕組みだった
チャトゥチャック市場(バンコク)
いくら美味しくとも、バンコクでスペイン料理を食べる気にはならないのだ
チャトゥチャック市場が今の場所に移転してきたのは1982年のことなので、全体的にそれほど古くなく、通路もきちんと整備されている
ワット・バンペーンチンプロット(バンコク)
カオは米、マンは油、ガイは鶏を意味していて、カオマンガイはそのまま海南風チキンライスを表している
永和豆漿大王(台北)
人気店である永和豆漿大王にはひっきりなしに注文が入ってきて、厨房に立つ男たちは忙しそうに働いていた
中正区(台北)
食堂の中に女性が腰を下ろしていて、その横で信号待ちをしている女性が立っていた
永楽市場(台北)
永楽市場のフードコートには寿司を出すお店もあった
台湾では豆漿と油条と呼ばれる揚げパンを食べるのが一般的な朝食だ
ボージョー・アウンサン・マーケット(ヤンゴン)
旅行者向けの土産物屋ばかりの市場にある食堂は意外にも地元の人たちで賑わっていた
インセイン(ヤンゴン)
昼間からのんびりする男たちで食堂は賑わっていた
靖国神社(九段)
大村益次郎には靖国神社の参拝が国際問題になるなんて想像もつかなかっただろう
バンコク・ノイ運河(バンコク)
バンコク・ノイ運河に架かる橋は食堂になっていた
ワーンラーン市場(バンコク)
買う度に値段交渉しなければならないようなタフな行動を取るのは腹が減るので、腹ごしらえする食堂があちらこちらにあった
ポーンプラープ区(バンコク)
観光名所になっていないポーンプラープ区の路地の奥に、人気の食堂があった
バーン・バート(バンコク)
屋台に毛が生えたくらいの食堂にもテーブルの上には砂糖、ナンプラー、粉トウガラシ、お酢の4種類が置かれている
プラナコーン区(バンコク)
外食文化が進んでいるから、女性がひとりで外食する機会も多くなるに違いない
バンコク(タイ)
麺類を食べる若い女性は心ここにあらずといった顔をしていた
チャイナタウン(バンコク)
通りがかったレストランの厨房の様子が外からよく見えた
夫婦とも同じように脚を組んで座って、同じように寛いでいた
チャイナタウンには屋台だけでなく、軽食を食べる場所も多く設けられている
タイ料理は辛いというイメージがあるけれど、このような食堂で食べる料理は辛いことはあまりない
提灯
注連縄
市場
若い女性
反射
砂利道