ムンバイ(インド)
鮮やかな緑色のピーマンと真っ赤に熟れたトマトのコントラストが色鮮やかだった
道端に腰掛けていた白髪の男は快く写真を撮らせてくれたけれど、視線はくれなかった
人口1000万人を超える大都市の歩道には何をしているわけでもなく、ただ往来を眺めている人たちが少なからずいる
湯島天神(湯島)
合格祈願のご利益がはっきりしているのに対して、家内安全と商売繁盛には叶ったのかどうかの明確な基準がない
足利織姫神社(足利)
もともと織物業の守り神だった足利織姫神社も今ではすっかり縁結びの神社になっている
ウイング高輪(品川)
急な坂道を登る女の子と老人
チルボン(インドネシア)
老人がロゴの描かれた帽子をかぶっているところを見ると、インドネシアでもモンスターエナジーは一般的のようだ
年配の運転手はスマホに時間を泥棒されることなく、足を組んでゆったりと客が来るのを待っていた
ジャカルタ(インドネシア)
駅周辺のごちゃごちゃした路地を整理したがる再開発は地元の活力を奪っているのではないだろうか
ジャカルタ随一の高級ショッピング・モールから10分くらい歩くと、高級感はもうどこにもなかった
手軽な喫茶店のないような住宅街では、路上が人びとのくつろぐ場所になっている
パサール・バル(ジャカルタ)
僕が日本人だと分かると、おじいさんはいそいそと古いお札の中から日本の軍票を指し示してきた
チャイナタウン(バンコク)
バンコクではチャイナタウン以外にも大勢の華僑が住んでいて、お店の看板にルーツを示すためなのか漢字を用いることが多い
大同区(台北)
大同区には茶行が集まっているエリアがあって、茶行巡りをするのに都合がいい
専門家ではないので説明や茶葉を見るだけでは品質を判断するは難しく、手っ取り早いのはお茶を試飲することだった
狭山(埼玉)
あちらこちらが禁煙になって、喫茶店に入るのが煙草を吸うのに簡単で確実な方法になっている
ヤンゴン(ミャンマー)
ヤンゴン環状線の中で老人が指さしていた
プラナコーン区(バンコク)
僕が求めているのは、バンコクを走る運河の脇に転がっていることが分かってきた
マハーチャイ(タイ)
目ざとく僕の挙動に注目する人が無遠慮に声を掛けてくるときは、僕にとっては待ってましたと思う瞬間だ
バーンレーム(タイ)
バーンレーム駅からフェリー乗り場までは、何の変哲もない住宅街の中を進まねばならない
トンブリー区(バンコク)
タイの預金金利はアジア通貨危機以前と比べたらかなり低いとはいえ、日本よりはまだまだ高い
観光名所である王宮からさほど離れていないものの、この辺を歩いている観光客は少なかった
町屋(東京)
高張提灯を抱える年配の男が幼い男の子と会話していた
国父紀念館(台北)
かつて大勢いた社交ダンスをする人びとの姿はなく、社交ダンスのブームは台北から完全に過ぎ去ってしまったらしい
寧夏夜市(台北)
夜市に腕時計を買いに訪れる人はあまりいないから店主の男性は暇そうだった
鴨母寮市場(台南)
家鴨の肉を食べたことはあるけれど、頭が出てきた経験はないものの、こうしてお店に並んでいるということは頭も立派な食材なのだろう
可愛らしい色合いが、真剣な表情とのギャップを生んでいた
南勢街西羅殿(台南)
お楽しみとして演劇が始まるようで、厳かな儀式から一転して、和やかな期待感が漂い始めた
崇徳市場(台南)
市場の一角で新聞を読むおじさん
浅草(東京)
路地で新聞を読む男
建長寺(神奈川)
法堂の横のベンチで休む男
新宿(東京)
長い影の横の男
高岩寺(巣鴨)
境内に佇む男
アウランガバード(インド)
チャイ・スタンドで屯していた男たち
膝を立てて座る老人
路地に座る老人
サンフアン・チャムラ(メキシコ)
カウボーイハットとポンチョ
ピイ(ミャンマー)
日陰でほくそ笑む男
川岸で寛ぐ帽子の老人
ビジャ・デ・エトラ(メキシコ)
無精髭とカウボーイハット
野菜
ビーチ
花
食べ物の屋台
反射
猫