増上寺(東京)
増上寺の三解脱門とレトロな車
御花畑駅(埼玉)
子どもに手を振る秩父鉄道のSLパレオエクスプレスの機関士
多摩川浅間神社(東京)
薄明光線の下、東横線が多摩川を渡っていた
のと里山空港(石川)
のと里山空港はなんでこんな辺鄙な場所に作ったのだろうと思うくらい人里離れた山奥に造られていた
駒沢オリンピック公園(東京)
駒沢オリンピック公園は東京オリンピックに合わせて整備された総合運動場だ
箱根(神奈川)
箱根登山ケーブルカーの車体は、斜面に沿って斜めになっている
浅草(東京)
インドで見かけるリクシャーは日本発祥の乗り物だ
京都市(京都)
なんてことのない路地を歩くのも楽しい
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
騒々しいジャカルタの道路には、のん気に走るベチャの姿はなかった
チルボン駅(チルボン)
インドネシア語はマラッカ海峡の交易語であった海峡マレー語を、オランダからの独立運動の中で民族の統一言語としたものだ
カノマン市場(チルボン)
市場の片隅に買いだめした買い物客のベチャが駐められていた
チルボン(インドネシア)
台湾では亭仔脚と呼ばれる建築様式は、インドネシアでは何と呼ぶのだろう
昔ながらのカノマン市場ではクレジットカード決済もQRコード決済も利用できない
市場裏の路地を何台ものバイクが行き来していた
市場の裏に何台もベチャが並べられていたけれど、運転手の姿はどこにもなかった
帽子をかぶってサングラスをかけた男がベチャで野菜を運んでいた
ジャワ島ではベチャという自転車タクシーが庶民の足だ
ジャラン・シリワンギ(チルボン)
真っ白なヒジャブをかぶった5人の女子学生が一台のベチャに乗っていた
列車でやってきた人を目当てにチルボン駅前にはたくさんのベチャが停まっていた
ガンビール駅(ジャカルタ)
ジャワ島を走る列車は近代的な車両だった
インドネシアでもピンクは女性を連想させる色のようで、女性専用車両の印がピンクで描かれていた
長距離列車の発着駅であるガンビール駅は大きくもなく、地味な駅だった
ジャカルタ(インドネシア)
ジャカルタは大通りから離れると迷路のような自動車が入れない路地ばかりだ
ジャカルタでは住宅街など下町を除いてこのベチャという人力の乗り物は走ってはならないことになっている
颯爽と走り抜けて行く姿を眺めていると素敵に見えるのだが、いざ間近でまじまじと見ると間抜けな感じがする
一口に自転車タクシーと言っても、国によってその形状は異なっている
平日のファタヒラ広場は閑散としていて、レンタルバイクも静かに乗る人が来るのを待っていた
大きくてカラフルな箱を後部に取り付けたバイク
インドネシアではGOJEKとGRABの配車アプリを巡る争いが展開されていた
今ではバジャイなどが地元の主な交通手段になっているジャカルタでも、馬車が主な交通手段だったことがあるに違いない
橋の上に何台ものインドのバジャージ・オート社製の青い三輪タクシーが停車していた
ジャカルタの住宅街を流れる川や水路は暗渠にされることもなく、今でも青空の下を流れている
サワブサール駅(ジャカルタ)
タフに働くには昼寝して睡眠時間を補うのも必要なのだ
ジャカルタでよく目にするバジャイも、インドのオートリキシャもスリランカのスリーウィーラーも製造しているのは同じインドのバジャージ・オート社だ
インドネシアで走っているハンドルの前に座席が付いているベチャは、ベトナムで目にするシクロに似ている
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタを走り回るオート三輪のタクシーは青色と決まっているようだ
ジャカルタ有数の観光名所であるファタヒラ広場の周辺で、大勢の人が商売している
ジャカルタ・コタ駅(ジャカルタ)
コタ駅近くで大量のバジャイという三輪タクシーが客待ちをしていた
ブランド名がそのまま一般名詞になってしまっているのは、携帯オーディオプレーヤーをウオークマンと呼んでいたのと似たようなものだろう
ダムヌン・サドゥアック水上マーケット(タイ)
観光地になっているダムヌン・サドゥアックも、ちょっと歩いていくとのどかな水路が伸びている
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