グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタのチャイナタウンで若い男がニンニクを刻んでいた
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
インドネシアでは宝石や貴石に不思議な力が宿っていると信じられている
キャンバスの中では被写体の女性もヒジャブをかぶらなくてもいいような気がするけれど、そうもいかないのかもしれない
古銭商の店先に沢山並んでいたので、第二次世界大戦末期の日本軍はかなりの量の軍票を発行したのだろう
かつて渋滞を解消するシステムとして、Three-In-Oneという1台の車に少なくとも3人乗ってなければならない規制がなされていた
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
インドネシアの特殊出生率は予想外に低い
インドネシアは世界第4位のコーヒー豆の生産国だ
ジャカルタ(インドネシア)
小屋の床に鷄爪が散乱していた
ジャカルタの路上に出ていた屋台の上にミシンが備え付けられていた
ジャカルタに架かるコタ・インタン橋は1628年に架けられた橋でインドネシアに残る唯一の植民地時代の吊り橋なのだそうだ。
ジャカルタでオランダ東インド会社が作った重厚な町並みが綺麗に保存されている区画はそれほど広くはない
時間が経っても写真の中のアバヤの女性が誰だったのか、きちんと覚えているものなのだろうか
ジャカルタ・コタ駅(ジャカルタ)
観光名所のファタヒラ広場はジャカルタ・コタ駅からすぐ近くにある
ジャカルタではアンコットもバジャイも青い車両ばかりだ
世界で最も多く島嶼を抱えるインドネシアは、世界で一番多くのイスラム教徒を抱える国でもある
インドネシアのバジャイは何十台と抱えるオーナーから日払いで車両をレンタルした運転手が営業するのが一般的らしい
ジャカルタは中央ジャカルタ市、南ジャカルタ市、西ジャカルタ市、東ジャカルタ市と北ジャカルタ市から成る都市圏人口が3000万人を超えるメガシティだ
道端のバス停に設けられたベンチにふたりの男が腰掛けてダラダラとしていた
ラヤ・マンガ・ベサール通り(ジャカルタ)
果物の王様と呼ばれるフルーツは場所によって違っている
ジャカルタのラヤ・マンガ・ベサール通りには多くの屋台が出ている
麺類を出す食堂にいたふたりの女の子は快く写真に応じてくれた
SL広場(東京)
SL広場には年配のサラリーマンがよく似合う
エラワン廟(バンコク)
エラワン廟で花とロウソクを奉納するだけでは満足できない参拝客は舞踏を奉納することもできる
ダムヌン・サドゥアック(タイ)
ダムヌン・サドゥアック水上マーケットの周辺にバンコクに向かうロットゥーの乗り場は無く、1キロほど離れた幹線道路まで行かねばならない
ダムヌン・サドゥアック水上マーケット(タイ)
ダムヌン・サドゥアックにあるこの水上マーケットも文化保存のために作られたものだ
ダムヌン・サドゥアック水上マーケッには運河に浮かびながら軽食を作るボートも出ていた
水上マーケットでの買い物はドライブスルーでの買い物に似ている
ダムヌン・サドゥアック水上マーケットの運河に沿って、陸地にも土産物屋やカフェやレストランなどお店が並んでいる
タイのンゴブという帽子は頭と不釣り合いに大きく見えるようだ
男はボートの上でお札を見せつけていた
純粋な市場ではなく、文化の保存と観光地にすることを兼ねて作られた人工的な市場なので観光客がいないと働いている人たちもやることがない
観光客向けの食堂にあった木箱の中で、男の子はタブレットPCを見ていた
観光客の少ない水上マーケットで、男たちは店舗も兼ねているボートを係留して休んでいた
バンコク(タイ)
ワシャワシャした駅でベンチの男だけがじっとしていた
マハーチャイ線のプラットフォームで若いカップルがこっそりデートを楽しんでいた
マハーチャイ(タイ)
八百屋の男はサッカーをやるような格好で働いていた
夕暮れ時だったので、地元の人が夕飯の食材を買い求めにマハーチャイの商店街にやって来ていた
マハーチャイ埠頭(マハーチャイ)
メークロンとバンコクを結ぶ線路を繋がっておらず、途中で川を渡り、マハーチャイから別の列車に乗る必要がある
サムットサーコーン県(タイ)
あまり乗客の乗っていないメークロン線が閑散とした塩田の中を進んでいった
サムットソンクラーム県(タイ)
中国の団体ツアーは忙しく、メークロン線も一駅分だけ乗るとそそくさと列車から降りてバスに乗り換えていった
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