KKRホテル東京(東京)
KKRと聞くと宗教じみていて怪しい団体のような気がするけれど、国家公務員共済組合連合会のことだ
初台(東京)
読書する人のための喫茶店は、世間話をするのも許されない
丸の内(東京)
自動車が走っていない道路でも律儀に信号が青に変わるのを待つ日本人は律儀すぎるのだそうだ
武蔵小山(東京)
地上で道路が直角に交差しているのと同じように上空では電線が直角に交差していた
銀座(東京)
中の様子が見えそうで見えず、人影が動いているのがなんとなくわかるだけなのはチラリズムだ
愛宕神社(東京)
急峻な出世の石段を登ると出世できると信じられている
新橋駅(東京)
暗闇の中で煌々と輝くニュー新橋ビルに掲げられた看板は、矛盾を抱えながらも働くサラリーマンを睥睨していた
新橋駅のこちらとあちらのプラットホームにひとりずつ立っていた
夕暮れ時の新橋駅ではそれぞれが誰かと話すわけでもなく、無言で電車が来るのを待っていた
港区立郷土歴史館(東京)
港区立歴史郷土館には資料を展示している場所とは別にカフェも設けられている
寛永寺(東京)
お彼岸に先祖のお墓参りをするのは、もともとの仏教の習慣ではない
日暮里(東京)
日溜まりの中をベビーカーが瞬く間に横切っていった
狭山(埼玉)
あちらこちらが禁煙になって、喫茶店に入るのが煙草を吸うのに簡単で確実な方法になっている
今の新橋駅は鉄道発祥の地である新橋駅ではないし、SL広場にある機関車はこの辺りを走ったことのない機関車だ
新虎通りCORE(東京)
ビュッフェスタイルのお店に入ると、貧乏性の僕は食べ過ぎることが多い
新宿(東京)
ヨドバシカメラの「ヨドバシ」は創業者の名字ではなくかつて存在した地名だ
第二種免許を持っていない一般の人がUberのライドシェアサービスで人を運ぶと違法になってしまう
明日の神話(東京)
立ち止まって明日の神話を眺める人は多くない
三軒茶屋(東京)
三軒茶屋の路地も、そのうち高層ビルに占拠されてしまうに違いない
三軒茶屋の一角に迷路のような路地が残っている
西小山(東京)
どのようなお店があるのか分からないローカルな商店街を歩いた方がずっと楽しい
ヤンゴン(ミャンマー)
発展途上国ではカバンや傘などの修理を生業としている人をよく見かける
バゴー(ミャンマー)
パラソルの出ているバゴーの繁華街は賑わっていた
バゴーの市場はそれぞれが売りたいものを思い思いに持ってきたかのようで、フリーマーケットに近い感じだ
強い日差しが照りつけるた道の先に、猛々しい雲が浮かんでいた
どこにもバス停であることを示すものはないので、よそ者がここをバス停だと認識するのは難しい
シュエモードー・パゴダ(バゴー)
信仰の場に来たときくらい、日頃の時間を忘れて悠久の時間を感じていたい
シュエモードー・パゴダにそびえる114mの高さを誇る仏塔はミャンマーでもっとも高い仏塔だ
沢山の仏像の前に腰を下ろしていた女性
ヤンゴン中央駅(ヤンゴン)
ヤンゴン中央駅の雰囲気はのどかで、切符を買っているのか立ち話をしているだけなのかは判断が難しい
ヤンゴン中央駅のプラットフォームで子どもたちが遊んでいた
ヤンゴン中央駅では床に座り込んで列車を待っている人もいる
ふたりが会話している時間と車道を走る自動車ばかりがこの周辺で流れていた
ローカルな雰囲気に包まれた路地で男の子がTシャツを捲って頭にかぶっていた
無秩序に建てられている住宅街の中を小川がまっすぐに流れていた
路地も住居も無秩序に建てられた区画に都市計画なんて存在しないのだろう
パーヤ・ラン駅(ヤンゴン)
ボージョー・アウンサン・マーケットの出口を抜けると、そこはパーヤ・ラン駅のプラットホームだった
スマートフォンが普及して、路上で本を読んでいる人が少なくなったけれどミャンマーの人は基本的に活字中毒だと思う
ミャンマーでもバナナは一般的な果物だけれど、日本で売られているのとは違う種類のバナナらしい
大きな袋を運ぶ女性の姿が水たまりにくっきり映り込んでいた
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