ムンバイ(インド)
何をするわけでもなく道端や歩道に腰を下ろしている人たちは普段目にしないものに敏感だ
厳正寺(大森)
雨乞いならぬ雨止めの奇祭が住宅街の真ん中で催されていた
ジャカルタ・コタ駅(ジャカルタ)
ジャカルタではアグレッシブに旅行者に営業をかけてくる人は珍しい
カノマン市場(チルボン)
インドネシアで開催されたアジア大会では野球も実施されたようだけれど、ここでは完全なマイナースポーツだ
ジャラン・シリワンギ(チルボン)
氷屋がビニール袋に氷を入れて客先に運んでいた
ジャカルタ(インドネシア)
インドネシアにはコミュニティによって運営されているごみ銀行という仕組みが存在するらしい
インドネシアのバイク保有世帯比率は85%もあり、世界で三番目に高い
ジャカルタの路地で若い男が中華鍋を振っていた
アメリカの囚人服の風采に由来するとされる腰パンは、ジャカルタでも若者の着こなしとしてすっかり定着しているようだ
カメラ付携帯電話の普及によって写真を撮ることと撮られることの非日常性は薄れてしまった
パサール・バル(ジャカルタ)
ジャカルタにあるパサール・バルという商店街の端には大きなショッピングモールが建っていて、両脇には屋台が並んでいた
グロドック地区(ジャカルタ)
中華文化圏で油条と呼ばれている細長い揚げパンは、インドネシアではチャクウェと呼ばれている
ジャカルタの密集した住宅街には濃厚な近所付き合いが今でも残っているのかもしれない
金徳院(インドネシア)
若い人たちの中には春節を祝うよりも、今やっているゲームの進捗状況の方がずっと大切だと感じている人もいる
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタのチャイナタウンで若い男がニンニクを刻んでいた
マハーチャイ(タイ)
夕暮れ時だったので、地元の人が夕飯の食材を買い求めにマハーチャイの商店街にやって来ていた
クロントゥーイ市場(バンコク)
クロントゥーイ市場の端で若者が大量の豚足を洗っていた
チャイナタウン(バンコク)
店頭に並べられた容器に栗と銀杏と蓮根が入れられていた
臨江街夜市(台北)
日本ではなぜベビーカステラは同じ形ばかりなのだろうか
ヤンゴン(ミャンマー)
カメラを構えているのを見た青年は照れて笑い出した
バゴー(ミャンマー)
ヤンゴンと違って、バゴーではバイクが走っているのを見かけた
運転手の男はわずかな停車時間の間に僕に気が付いて、カメラに向かって笑ってくれた
バゴーはイギリスの植民地時代を通して1991年までペグーと呼ばれていた町を軍事政権が改名したところだ
男がレッド・ツェッペリンの「天国への階段」でも弾き出したら、意外な選曲で楽しかったのに
ボージョー・アウンサン・マーケット(ヤンゴン)
旅行者向けの土産物屋ばかりの市場にある食堂は意外にも地元の人たちで賑わっていた
タニン(ミャンマー)
日本ではマイナースポーツであるセパタクローだけれど、ミャンマーではメジャースポーツだ
オークポースー駅(タニン)
インドでよく見かけるダッバーと呼ばれる弁当箱はミャンマーでも、一般的なランチボックスだ
ミョーマ市場(タニン)
好奇心を剥き出しにして僕に近寄ってきた男が、煙草をプカプカふかしながら僕のことをまじまじと眺めていた
チャウタン(ミャンマー)
インドやバングラデシュと違って、ミャンマーでは髭を蓄えるのはあまり一般的ではない
チャウタンの中心部にある市場では大量の漁網が売られていた
市場の入口に若者が腰を下ろしていた
騒々しい露天市の中で男が黙々と物思いにふけっていた
テーブルの上に鮮やかな緑をした瑞々しいキンマの葉が広げられていた
若者は商品を売るのにあまり熱心ではないようだった
ダウンタウンにはイギリス統治時代に建てられた荘厳な建物が多く残っているけれど、クリケットをプレーするという習慣はどうやら根付かなかったようだ
手術中の医者のようなピッタリとした手袋をして、男はクーンを売っていた
首から大きなトレイをぶら下げて男は移動式の煙草屋だった
ストランド通り(ヤンゴン)
多くの地元の人たちの後を追ってたどり着いた先は小さな船着き場だった
ヤンゴンのストランド通り(ヤンゴン)
面倒なことにミャンマーでは値段がアラビア数字ではなくビルマ数字で書かれていることが多い
プラナコーン区(バンコク)
楽器屋で売っていたのはタイの伝統的な楽器ではなく、日本でも売っている西洋の楽器だった
行商人
猫
おさげ
反射
口
砂利道