スラムと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、映画スラムドック・ミリオネアの舞台にもなったインドはムンバイにあるダラビやフィリピンにあるスモーキー・マウンテンかもしれない。確かにスラムと聞いて連想するような貧民窟は今の東京にはない。しかし、かつては存在した。四谷駅と信濃町駅の間にあった鮫河橋がそれだ。
今のJR鮫河橋通ガードの辺りは昔から低湿地で環境が悪く、江戸時代には岡場所だったところ。明治時代になると農村から流入した貧困層が集住してスラム街が形成されたのだという。近くの市谷本村町にあった陸軍士官学校寄宿舎から出た残飯を米や菜を買うお金のない貧困層に売る商売が成り立つくらい、貧しい人びとがこの辺りに住んでいたようだ。
芝新網、下谷万年町と並んで三貧窟と呼ばれた鮫河橋も今は昔。周辺を歩いてもスラムだった名残はどこにも見当たらない。鮫河橋せきとめ稲荷のところに展示されている町の歴史だけが、かつてここがスラムだったことを公言していた。鮫河橋の谷底から伸びる出羽坂も素知らぬ顔で信濃町へ向かって緩やかに上っていた。
2021年8月 町角 東京 | |
坂道 通り 四谷 |
No
11989
撮影年月
2021年1月
投稿日
2021年08月05日
更新日
2023年08月19日
撮影場所
四谷 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF