達磨が可愛らしい顔をしているのと裏腹に、大石段は険しくて長かった

達磨寺の大石段
達磨寺の大石段
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ブルーノ・タウトという名前を聞いても、桂離宮の素晴らしさを海外に喧伝した人という程度の薄っぺらな知識しか持っていなかった。アーネスト・フェノロサと同じく明治に来日したお雇い外国人のひとりくらいに思っていたのだ。ところが、達磨寺の境内には驚くべきことに、ブルーノ・タウトが居住していた洗心亭という建物が保存されていた。ブルーノ・タウトは1934年8月1日から2年3ヶ月の間、この高崎にある達磨寺の一角で生活していたのだという。桂離宮を絶賛しているくらいだから、タウトが日本文化に親しみを覚えていたのは容易に想像がつく。だからといって、東京京都から遠く離れた地にある仏教寺院の簡素な建物で過ごしていたという事実に驚いたのだった。

ブルーノ・タウトはフェノロサとは異なり、お雇い外国人ではなく、日本政府からの依頼で来日したわけではなく、日本インターナショナル建築会からの招待で来日していた。にもかかわらず日本滞在中はあまり建築の仕事に恵まれなかったようで、タウト自身が日記の中で「日本での生活は建築家の休日である」と表現していたほど。たびたび来日して帝国ホテルや自由学園明日館を手掛けるなど精力的に仕事をこなしたフランク・ロイド・ライトとは対照的だ。でも、それも時代のせいだろう。ブルーノ・タウトが来日したのは、日中戦争前夜のこと。大正ロマンは過ぎ去り、日本社会がモダン建築への余裕を失いつつあったからではないだろうか。

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ENGLISH
2023年5月 群馬 町角
手摺 階段 高崎 寺院

PHOTO DATA

No

12496

撮影年月

2023年2月

投稿日

2023年05月23日

更新日

2023年08月07日

撮影場所

高崎 / 群馬

ジャンル

ストリート・フォトグラフィー

カメラ

SONY ALPHA 7R II

レンズ

ZEISS BATIS 2/40 CF

日本国内で撮影した写真とエッセイ

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