ムンバイ(インド)
人口1000万人を超える大都市の歩道には何をしているわけでもなく、ただ往来を眺めている人たちが少なからずいる
流山(千葉)
流山は新選組局長だった近藤勇が最後に陣営を敷き、自首したところだ
秋葉原駅(秋葉原)
よく見ると秋葉原駅前の総武線の鉄橋はかなり高いところに架けられている
川越の一番街(川越)
小江戸と呼ばれる川越の町並みは、実は明治時代になってから作られたものだ
日本橋堀留町(東京)
日本橋堀留町にある三光稲荷神社には迷い猫が家に帰ってくるという霊験があるらしい
レインボーブリッジ(海岸)
レインボーブリッジの橋桁は海面から52mの高さにあるから、両端に1kmを越えるアプローチ部が設けられている
芝(東京)
おとなしく信号待ちするか否かに国民性が現れるのだろうか
自由が丘(東京)
自由が丘学園があるところが後から自由が丘という地名になったのだ
西新宿(東京)
西新宿にひとつ高層ビルが増えるらしい
横浜市開港記念会館(横浜)
横浜市開港記念会館前の横断歩道
関内(横浜)
横浜関内にあるジャズバー
神保町(東京)
マスクして並んで歩く老夫婦
銀座(東京)
いくつになっても知っていそうで知らないことは多い
東品川(東京)
潮風は歩道橋をもボロボロにする
山下臨港線プロムナード(横浜)
山下臨港線プロムナードの高架下は自由に行き来できる
両国(東京)
総武線の高架脇にできた陽だまりを歩く女性
京橋(東京)
川が流れていて橋が架かっていたとは信じられないくらい川と橋の気配は今の京橋から雲散霧消してしまっている
新宿(東京)
新宿に張り巡らされた地下道は複雑すぎて、いくつになっても理解しきれない
武蔵小山(東京)
駅前の込み入った路地がすっかりなくなってしまったのも、ジェントリフィケーションの一形態なのだろうか
御徒町(東京)
歩行者と自転車
新大久保駅(新大久保)
JRの線路下
皆中稲荷神社(大久保)
皆中稲荷神社
幼子を連れたお母さんが夕暮れ時の銀座を歩いていた
銀座のビルに大きな影が落ちていた
日差しの差し込む銀座の西五番街通りを人びとが歩いていた
丸の内(東京)
新有楽町ビルヂングの外観はちょっと古びているものの、格好いい
六本木(東京)
かつて大名屋敷が並んでいた鳥居坂から東京タワーがよく見えた
新宿イーストサイドスクエア(東京)
新宿イーストサイドスクエアの敷地には曲線が多用されていたものの、トンネルは四角かった
スクランブル交差点(渋谷)
JR渋谷駅前にあるスクランブル交差点は海外からの旅行者には人気のある観光スポットだ
銀座は江戸時代に銀貨の鋳造と銀地金の売買を担った銀座役所がこの地に置かれたことに端を発している
コロナ禍に飲み込まれた銀座の中央通りは人通りもまばらだった
タマン・サリ地区(ジャカルタ)
タマン・サリ地区の住宅街には自動車も自転車タクシーも見当たらず、道の上を行き来しているのは普段着の地元の人だけだった
旧バタヴィアに建つ見張り塔(ジャカルタ)
バタビアの時代からずっと見張り塔は見張り続けている
渋谷スクランブル交差点(渋谷)
渋谷のスクランブル交差点はニューヨークのタイムズスクエアと同じような扱いなのかもしれない
新宿はその字面に「宿」の字を含んでいることが示す通り、甲州街道の宿場町のひとつだった
自動車が走っていない道路でも律儀に信号が青に変わるのを待つ日本人は律儀すぎるのだそうだ
西小山(東京)
どのようなお店があるのか分からないローカルな商店街を歩いた方がずっと楽しい
ヤンゴン(ミャンマー)
ピンクの袈裟をまとった比丘尼たちは人混みの中にいてもよく目立つ
バゴー(ミャンマー)
パラソルの出ているバゴーの繁華街は賑わっていた
チャウタン(ミャンマー)
ヤンゴン中心部と違って、チャウタンではバイクが走っているのを目にする
池
こども
眼鏡
レストラン
荷台
ボート