地図を見ると、今の東京都中央区銀座には1丁目から8丁目までの8つの町が含まれている。銀座という名前がかつてここに貨幣の鋳造を担った場所があったために付けられたのを考えると、銀座という町名が江戸時代から続く歴史ある町名のように思えるけれど、実際にはそこまで古いものではない。銀座という町名が最初に登場したのは1869年のこと。新両替町と三十間堀西側等を合わせて銀座という町名が誕生したのだ。
その後も銀座は増殖していく。細々した小さな町の他にも三十間堀や木挽町などの比較的大きな町も飲み込んで、1丁目から8丁目で構成される今の銀座が完成したのは1969年だ。
古い地図を見ると、銀座が今の形になる過程で多くの小さな町が消滅してしまったのが分かる。1丁目から8丁目までのそれぞれにあった弓町や新肴町、滝山町などの個性的な町がすっかりなくなっているのだ。これはちょっと残念。銀座1丁目とか、2丁目などよりも弓町や新肴町、鎗屋町などの名称の方が素敵に思うのは僕だけだろうか。なにせ弓町は徳川家康に従って入国した御用弓師の拝領地だったところで、鎗屋町も同じく御用鎗師が屋敷地として拝領したところ。新肴町にいたっては八重洲河岸にあった魚市場がこの地に移転してきたのが町名の起こりという。
昔の町名の方が町の歴史を想像できて楽しい。いっそのこと、昔の町名に戻してもいいのではないかと思ってしまう。銀座という名前がブランドになってしまっている今となっては夢物語かもしれないが。
2021年8月 人びと 東京 | |
銀座 歩行者 影 |
No
12002
撮影年月
2021年2月
投稿日
2021年08月18日
更新日
2023年08月18日
撮影場所
銀座 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
RICOH GR III