自由が丘という地名は戦後のGHQ占領下で名付けられたようなイメージを持つけれど、実際には戦前に名付けられた名前だ。碑衾村と呼ばれていた一帯が自由が丘という名前に変貌したのは、手塚岸衛が自由教育を旗印にこの地に自由が丘学園という学校を創立した1930年以降のこと。大正デモクラシーの中で「自由が丘」という名称が時代の自由主義的な風潮にマッチしたのだろう。文化人だけでなく、地元の住民にもこの言葉が広く浸透していった結果、駅名に採用され、その後正式な町名にもなったのだ。自由が丘にあるから自由が丘学園という名称の学校があるのではなく、自由が丘学園があるところが後から自由が丘になったのだ。
そのような地名の由来を持っているため、自由が丘という地名そのものに矛盾が詰め込まれてしまっている。地名に「丘」という漢字が含まれているものの、実際の自由が丘は谷に作られている。自由が丘駅のある辺りが谷底で、駅周辺のお洒落な繁華街もすべて谷の中にあるのだ。この構造は渋谷に似ている。でも渋谷が地名にきちんと「谷」を含んでいるのに対し、自由が丘には「谷」の文字が含まれていない。地形を表した地名ではないから仕方がないとはいえ、駅からどこに向かうのも丘を上がらねばならないから騙された気になってしまう人もいるかもしれない。
2022年12月 町角 東京 | |
自由が丘 歩行者 反射 ショーウインドウ 傘 |
No
12414
撮影年月
2022年9月
投稿日
2022年12月15日
更新日
2023年08月10日
撮影場所
自由が丘 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF