ビルが林立している丸の内は、かつて東京湾の一部で日比谷入江だったところだ。この辺りが埋め立てられ始められたのは、徳川家康が江戸城に入った1590年以降のこと。だいたい1592年くらいからのようだ。着々と埋められた結果、入江の名前が地名に名残を留めているだけで、今ではこの辺りが海だった頃の残滓は見つけられない。
埋め立てられた土地は江戸城に組み込まれ、親藩や代大名の屋敷が24あまり建設されたという。大名屋敷ばかり建ち並んでいたので大名小路と呼ばれていたそうだ。
写真の新有楽町ビルヂングのあたりも、江戸時代には大名屋敷だったところ。古地図を見ると、幕末には上野国高崎藩藩主松平輝聴の上屋敷だったようだ。それが明治維新後には陸軍の兵舎・練兵場になり、その後三菱に払い下げられ、オフィスビルになったのだ。新有楽町ビルヂングも建てられてから50年以上が経ち、かなり年季が入っている。そろそろ別形態に変身する時期が近づいているような気がする。
2021年7月 建築 東京 | |
丸の内 歩行者 横断歩道 |
No
11969
撮影年月
2020年12月
投稿日
2021年07月16日
更新日
2023年08月19日
撮影場所
丸の内 / 東京
ジャンル
建築写真
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF