鹿島神宮(鹿嶋)
御手洗池の幻想的なイメージは現世利益を求める声にあっけなくかき消されてしまっていた
銀座(東京)
かつて江戸で唯一金貨を鋳造していた金座のあった本石町には今でも日本銀行の本店があって金融の大役を担い続けている
銀座四丁目の交差点に国産自動車メーカーのショールームがあるのは、自動車メーカーが日本経済を担っている証左なのだろう
富岡八幡宮(深川)
金ピカの神輿を見ていると、日本の神々しさの考え方は東南アジアと根本的には変わらないのではないかと思える
小樽(北海道)
かつての繁栄を象徴する倉庫も、ほとんどが美術館や店舗になっていて、倉庫としては使われていない
三島田町駅(三島)
三島田町駅に入ってきた伊豆箱根鉄道駿豆線の車窓にプラットホームが映り込んでいた
楽寿園(三島)
落ちないようにと強く思えば思うほど、落ちてしまう気がしてしまうのはなぜだろう
子規庵(根岸)
根岸にある子規庵から野球好きで闊達だった正岡子規を連想するのは難しい
千葉神社(千葉市)
コンクリートで舗装されていて、都心にある学校の校庭のような千葉神社の一画になみなみと水を湛えた妙見池があった
調神社(さいたま市)
珍しい狛兎とは裏腹に窓ガラスに映った社殿はいたって地味なものだった
青松寺(愛宕)
古めかしい格好をして、いかつい顔をした青松寺の四天王像を保護するガラスに現代の町並みが映り込んでいた
KITTE丸の内(丸の内)
KITTE丸の内が秀逸なネーミングの理由
目黒川の桜並木(目黒)
目黒川沿いに立ち並ぶ桜の木は昭和の初めに植えられたものだ
小石川後楽園(後楽)
小石川後楽園の大堰川の流れはとても穏やかだった
大名庭園として造られた小石川後楽園には来園者を楽しませるためのモチーフが散りばめられている
岡山後楽園と小石川後楽園では小石川後楽園の方が後楽園と名乗り始めたのが早い
東京駅(丸の内)
東京駅の丸の内側と八重洲側でかなり雰囲気が違う
昌平橋(秋葉原)
かつては駅前も賑わっていた万世橋駅は時代の移り変わりで駅自体がななくなってしまった
川越の一番街(川越)
小江戸と呼ばれる川越の町並みは、実は明治時代になってから作られたものだ
日本橋堀留町(東京)
日本橋堀留町にある三光稲荷神社には迷い猫が家に帰ってくるという霊験があるらしい
天祖諏訪神社(大井)
名称を結合させる結合名称は日本ではあまりメジャーではないような気がする
自由が丘(東京)
自由が丘学園があるところが後から自由が丘という地名になったのだ
東京駅の丸の内中央口改札は拍子抜けするほど小さいものだった
銚港神社(銚子)
風を司る神様は世界各地に存在している
赤城神社(赤城元町)
ガラス張りの拝殿に長い歴史と神秘性を感じるのは難しい
神宮前(東京)
小さなギャラリーの小さな壁にところせましと作品が並べられていた
大宮氷川神社(さいたま市)
神社の前にできた水たまりに参拝客の姿が映り込んでいた
松岡美術館(白金台)
ガラスに映った自らの姿に魅入っていた古代ギリシア・ローマ彫刻
廣岳院(高輪)
廣岳院の提灯
鬼子母神前駅(雑司が谷)
鬼子母神前駅で都電荒川線を下りたカップル
肥後細川庭園(目白台)
肥後細川庭園の池に映る橋と木と人影
角川武蔵野ミュージアム(所沢)
俵万智の個展
豊川稲荷東京別院(元赤坂)
大抵の悩みは人間関係か健康かお金にまつわることなのだから、もうこの3つの神様さえ鎮座していればいいと思うのだけれど、世の中はそう簡単ではない
弁慶濠(元赤坂)
弁慶濠に浮かぶボート
西新宿(東京)
ビルに映り込んだビル
すみだ北斎美術館(亀沢)
すみだ北斎美術館から見える東京スカイツリー
アーティゾン美術館(京橋)
アーティゾン美術館は写真撮影も可能だ
新田神社(矢口)
武蔵新田は新しく開墾された土地という意味ではなく、人名由来の地名だ
かつて東京中央郵便局だったKITTEは中をくり抜かれ吹き抜けになっている
ホテルニューオータニ(紀尾井町)
もともと平凡な名称だった坂が紀尾井坂になったのは紀州徳川家と尾張徳川家と彦根藩井伊家の屋敷があったからだ
階段
蝋燭
橋
参拝客
路地
窓