神社の社殿や仏閣の堂宇などは、老朽化しても以前と違う形に建て替えないような気がする。見えないところに現代の最新技術を用いたとしても、外観は昔通りに再建するのが多いのではないだろうか。そうするのは、外観を新しいものに替えると今まで積み重ねた伝統がなくなってしまうような気がしてしまうからではないか。
そう思ったのは、再生プロジェクトで社殿そのものを建て替えた赤城神社にやって来たからだった。伝承によれば1300年に建立されたという歴史ある神社なのだから、歴史の蓄積がどこかにあるはずなのに、僕には見つけられない。大きなガラス窓が採用されている拝殿を眺めても長い歴史を感じるのは難しい。モダンな造りはスマートさは感じさせるものの、歴史の蓄積をひけらかすのには向いていないのだ。
さらにガラス張りは長い歴史を感じさせないだけでなく、神秘性までも排除してしまっているような気もする。あけっぴろげだと神秘性が減少するように思うのだ。神秘性は見てはいけないものに通じるところがあるような気がしている身からすると、ガラス張りで内部がよく見えてしまうと、神々しさが減退してしまうような気がしてならない。
2022年6月 町角 東京 | |
赤城元町 ガラス 反射 神社 |
No
12289
撮影年月
2022年4月
投稿日
2022年06月07日
更新日
2023年08月13日
撮影場所
赤城元町 / 東京
ジャンル
静物写真
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS LOXIA 2/35