ジャカルタ(インドネシア)
カメラ付携帯電話の普及によって写真を撮ることと撮られることの非日常性は薄れてしまった
東京に負けるとも劣らずコンビニがアチラコチラにあるジャカルタだけれど、中には昔ながらのキオスクも残っている
ジャカルタの道端に出ている屋台は社交場としても機能しているようだ
サワー・ブサル地区(ジャカルタ)
サワー・ブサル地区には何人もの画家が小さいながらも画廊のようなブースを構えているエリアがあった
ジャカルタでGrabにもGojekにも登録していない独立系の運転手は、OJEKと呼ばれるらしい
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
ジャカルタで見かけた給油機は人間にする点滴と同じ仕組みで動いているような気がした
タマン・サリ地区(ジャカルタ)
ひとりの男の子だけが皆から離れて黙々と太鼓を叩いていた
グロドック地区(ジャカルタ)
グロドックの路地にはバイクが何台も停められていて、ただでさえ狭い路地がより一層狭くなっていた
中華文化圏で油条と呼ばれている細長い揚げパンは、インドネシアではチャクウェと呼ばれている
グロドック(ジャカルタ)
ジャカルタを走り回るオート三輪のタクシーは青色と決まっているようだ
道端に靴の修理屋があるのは、ジャカルタの人が物を大切に扱うからだけでなく、購入した方が人が修理よりも高く付くことを示している
マレーシア語とインドネシア語は多少の違いはあるにせよ、お互いに意思の疎通は難なく図れるくらいに近いものらしい
ソンコという帽子はトルコ帽にもテュベテイカにもネパールのトピという帽子にも似ている
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
時間が経っても写真の中のアバヤの女性が誰だったのか、きちんと覚えているものなのだろうか
チャイナタウン(バンコク)
ゴミゴミしたチャイナタウンの通りにひっそりと中国寺院が建っていた
バゴー(ミャンマー)
ヤンゴンと違って、バゴーではバイクが走っているのを見かけた
ヤンゴン(ミャンマー)
ヤンゴン市内には自動車のタクシーも走っているけれど、地元の人はエコな自転車タクシーを好む
ボージョー・アウンサン・マーケット(ヤンゴン)
何本もの箒を担いでいる男を見る限り、ヤンゴンでは箒のニーズが結構あるようだ
道端に停められていた軽トラックの荷台で男の子がくつろいでいた
タニン(ミャンマー)
8年前にもやって来た駅の細長いプラットホームは、前と同じように閑散としていた
ミョーマ市場(タニン)
8年間で時代は変わり、今ではスマホで自分の位置を確認しながら移動できるようになってしまった
チャウタン(ミャンマー)
親子連れがウェッタードウットーの屋台に就いていた
着岸している船の向こうにイェレー・パゴダが見えた
イェレー・パゴダ(チャウタン)
イェレー・パゴダのある中洲のボート乗り場で男の子たちがダラダラしていた
ダニンゴン駅(ヤンゴン)
プラットホームで茄子とキャベツが売られていた
気だるい市場にはおしゃべりに興じている人もいれば、何をする訳でもなく単に腰を下ろして休んでいる人もいた
騒々しい露天市の中で男が黙々と物思いにふけっていた
ダラ(ミャンマー)
物凄いスピードで発展する向こう岸のダウンタウンとは対照的に、こちら岸は発展から取り残されているかのような雰囲気が漂っていた
サイドカーのように自転車の横に客席が取り付けられている自転車タクシーは、地元の人に英語のサイドカーが訛ったサイカーと呼ばれている
バーンコークノーイ区(バンコク)
作業員たちは楽しげに働いていて、ショベルカーの運転席にいた男は嬉しそうに親指を立ててくれた
バーンレーム駅(タイ)
バーンレーム駅もメークロン駅に負けず劣らず質素で小さな駅だった
ワット・アルン(バンコク)
上座部仏教の国で寺院の修繕に携わることで功徳が積めると考えられているのかどうかは分からない
バンコク(タイ)
マスクをした若い男が図りの上に置いた容器に慎重に液体を足していた
混雑した通りにいるのは買い物にやって来た人ばかりではなく、屋台も出ていた
藤沢(神奈川)
日本人は従順だから規律ある社会が成り立っているのだと思うと同時に、日本企業が革新的な商品を開発出来ない理由もそれであるような気がした
寧夏夜市(台北)
賑やかな寧夏夜市の片隅で女性がスマホの画面に見入っていた
嘉義(台湾)
嘉義の公園で中国将棋を指すふたり
崇徳市場(台南)
市場の一角で新聞を読むおじさん
ナシーク(インド)
大きなつばの下には大きな瞳
刺青を入れたシャイな男
荷台
煙草
橋
サイクルリクシャー
笑顔
親子