後楽にある小石川後楽園を完成させた徳川光圀、いわゆる水戸の黄門様は幕末の思想に大きな影響を与えた水戸学の基礎を作ったとも言われている。儒学思想を中心に国学・史学・神道を折衷した水戸学は、幕末の尊皇攘夷思想の理論的バックボーンになったのだ。徳川家康の孫が築いた学問の礎が、徳川幕府を倒すことになるのだから歴史は面白い。
もっとも存命中の水戸黄門様は自らの所業がそのようになるとは夢にも思っていなかったに違いない。小石川後楽園の造園に際しては、明から日本に亡命していた朱舜水という儒学者の意見を取り入れ、随所に中国趣味・儒教的思想の景観を配したのだという。後楽園という名称も宋の時代に笵仲淹という人物が記した「岳陽楼記」に出てくる「先天下之憂而憂 後天家之楽而楽」から名付けられている。
起伏ある地形を利用し造られた小石川後楽園は園内を歩くと山や川、田園など変化に富む風景が楽しめるようになっている。中国趣味を取り入れたと言っても、黄門様は中国を訪れたことがない。そのためモデルとなった風景は京都だったりするのだ。
写真は園内を流れる大堰川で、これは京都府中部を流れる大堰川を模しているようだ。そして向こうに見える橋は渡月橋。これも実際に京都で大堰川に架かっている京都だ。つまりこの辺りは京都の風景を模している。中国趣味であっても、やはり京都辺りの風景が黄門様にとって理想的なものだったのかもしれない。
2022年1月 町角 東京 | |
橋 庭園 後楽 河川 石 |
No
12144
撮影年月
2021年11月
投稿日
2022年01月13日
更新日
2023年08月16日
撮影場所
後楽 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
EF135MM F2L USM