ロンビエン駅(ハノイ)
ベトナム人にとってロンビエン橋は単なる交通手段であるだけでなく、戦禍と復興の歴史を体現する象徴でもあるのだろう
楽寿園(三島)
落ちないようにと強く思えば思うほど、落ちてしまう気がしてしまうのはなぜだろう
目黒川の桜並木(目黒)
目黒川沿いに立ち並ぶ桜の木は昭和の初めに植えられたものだ
称名寺(横浜)
称名寺にある庭園は浄土思想を具現化した浄土式庭園だ
称名寺そのものよりも横に建つ金沢文庫の方が存在感を放っている
小石川後楽園(後楽)
小石川後楽園の大堰川の流れはとても穏やかだった
日本橋麒麟像(日本橋)
日本橋の麒麟には本来ないはずの翼がついている
等々力渓谷(等々力)
住宅街にあるからといって、等々力渓谷を侮ってはいけない
秋葉原駅(秋葉原)
よく見ると秋葉原駅前の総武線の鉄橋はかなり高いところに架けられている
昌平橋(秋葉原)
かつては駅前も賑わっていた万世橋駅は時代の移り変わりで駅自体がななくなってしまった
三渓園(横浜)
もともと仏教寺院の中心に据えられた三重塔などの仏塔も日本では中心に据えられることはほとんどない
レインボーブリッジ(海岸)
レインボーブリッジの橋桁は海面から52mの高さにあるから、両端に1kmを越えるアプローチ部が設けられている
ともえ大橋(函館)
函館の中心は時代とともに港から離れていっている
三鷹電車庫跨線橋(三鷹)
架けられて100年近く経っている三鷹電車庫跨線橋は近いうちに取り壊される予定だ
横須賀の走水(横須賀)
宇宙エスカレータがあれば、こんな感じかもしれない
肥後細川庭園(目白台)
肥後細川庭園の池に映る橋と木と人影
小石川後楽園を完成させたのは水戸の黄門様だ
小石川後楽園の円月橋は渡るのに不便なくらいの半円を描いている
多摩川浅間神社(田園調布)
薄明光線の下、東横線が多摩川を渡っていた
亀久橋(深川)
仙台堀川に架かる亀久橋の向こうにスカイツリーがそびえていた
二条城(京都)
二条城の本丸へ通じる橋は二箇所にしか架けられていないし、橋を渡ったところには攻撃に備えて櫓が設けられている
ジャカルタ(インドネシア)
油で覆われたような水路が家々の間を流れていた
僕にはわかrないけれど、一口にヒジャブと言っても巻き方が色々あって、巻き方を見ればどの地方の人なのかわかるらしい
ジャカルタの住宅街を流れる川や水路は暗渠にされることもなく、今でも青空の下を流れている
浜離宮庭園(東京)
浜離宮は銀座からほど近いので、ふらっと訪れるにはいい場所にある
ヤンゴン(ミャンマー)
いそいそと男の子たちが立っていた場所へ移動して川を眺めてみたけれど、そこに興味を惹かれるようなものは何もなかった
タニン(ミャンマー)
町外れにある集落では行政がゴミを収集しないのか、橋の袂にゴミが散乱していた
ダニンゴン市場(ヤンゴン)
市場の入口に架かる小さな橋に洗濯物が干されていて生活臭が溢れていた
バーンルアン(バンコク)
集落で運河に架かる橋はどれも狭く、自動車は渡れない橋ばかりだった
ポーンプラープ区(バンコク)
タイで女性が正式に出家することは認められていない
新宿大ガード(新宿)
新宿大ガードはごちゃごちゃした歌舞伎町と整理整頓された副都心を分け隔てるためにあるかのようだった
清澄庭園(清澄)
清澄庭園の池に架けられた橋を外国旅行者が列をなして渡っていた
明石町(東京)
かつて外国人居留地のあった明石町にその名残は何も残っていない
佃大橋(月島)
頭上には青空が広がっていて、佃大橋の下流に架かる勝鬨橋もよく見えた
柳橋(浅草橋)
柳橋は目立たない小さな橋だが、関東大震災の復興事業の一環として築かれた頑丈な鉄骨橋である
台南の東区(台南)
跨線橋の下の道
井の頭公園(東京)
井の頭池に架かる小さな石橋を渡る人びと
中目黒(東京)
二組のカップルと一本の傘
湯島天満宮(湯島)
結婚式の参列者を引き連れて橋を渡る巫女の姿は天女のようだった
天空橋(羽田)
雲の下の天空橋
柱
タナカ
モスク
砂利道
サンダル
魚