明治維新になって、新しい政府の都が京都でも大阪でもなく、東京に定められた理由のひとつに諸侯の藩邸などがあり官庁などを新築する必要がなかったことが挙げられる。都心に広大な敷地を持つ藩邸を新政府に明け渡してもらいさえすれば、土地の取得はもちろんのこと、場合によっては建物さえ新築する必要がなかったのだ。
その名残は今でも都心に残っていて、大きな施設が建っているところは、かつてはどこかの藩邸だったところが多い。現在上智大学があるところは尾張名古屋藩の屋敷だったところだし、慶応大学の三田キャンパスは肥前島原藩の中屋敷だったところ。慶応大学の裏にあるイタリア大使館は伊予松山藩の中屋敷だったところだ。
では、この写真を撮った東京ドームシティアトラクションズはどこの藩邸だったのかというと常陸水戸藩の上屋敷だったところだ。旧称の後楽園ゆうえんちは藩邸にあった庭園・後楽園にちなんで名付けられたのだ。しかしながら、藩邸がそのまま遊園地になったわけではない。明治維新を迎えると、水戸藩邸には陸軍の東京砲兵工廠が建設され、1935年に小倉に移転するまでこの地で兵器の製造を行っていたのだ。現在では家族連れの笑い声が響く遊園地が、かつては兵器を製造していたところとはその変わり身にあっぱれと言いたくなってしまう。
2022年5月 建築 東京 | |
遊園地 ジェットコースター 観覧車 後楽 |
No
12264
撮影年月
2022年3月
投稿日
2022年05月13日
更新日
2023年08月13日
撮影場所
後楽 / 東京
ジャンル
建築写真
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS LOXIA 2/35