東京
どんなに収蔵作品が素晴らしくとも、訪れたときに美術館が混雑していたら鑑賞が台無しになってしまう
屏風という調度品は現代日本家屋になじまないものになってしまったような気がする
よく見ると秋葉原駅前の総武線の鉄橋はかなり高いところに架けられている
かつては駅前も賑わっていた万世橋駅は時代の移り変わりで駅自体がななくなってしまった
酉の日に立つ酉の市のような移動する祭日は現代的合理性から距離を保っているように思える
殿ヶ谷戸庭園もかつて三菱の岩崎家が所有していた邸宅の跡地だ
壁に挟まれた細い通路はスロットカーレースのコースのようだった
ラッピングされた凱旋門は構想から実現まで60年かかった壮大なプロジェクトだ
凱旋門を包むのには多くの人の知恵と時間とお金が必要なのだ
川内倫子は写真家というよりも現代芸術家と呼ぶほうが相応しいように思えた
オペラシティという名前から判断するに、中心にあるのを想定されているのはオペラ座なのだろう
ドッグカフェに犬用の食事メニューがあるのかどうか僕は知らない
地震にも焼夷弾にもやられてしまうことなく、増上寺の三解脱門は400年経った今でもしっかり建っている
仏殿よりも井伊家墓所よりも招き猫が豪徳寺の人気者だ
ワンマン運転になったら、電車から車掌の姿が絶滅してしまうのかもしれない
間接照明で照らされたエレベータ・ホールは登場人物をドラマティックに仕立ててくれる
日本橋川には1882年になるまで正式な名称はなかった
日本橋堀留町にある三光稲荷神社には迷い猫が家に帰ってくるという霊験があるらしい
有名なマシュマロ・テストも追試では再現が困難と報告されている
綿菓子は日本発祥のお菓子だと思い込んでたけれど実際はアメリカ生まれだった
大井鹿嶋神社の例大祭で演奏される大井囃子は280年前に作られたものだそうだ
名称を結合させる結合名称は日本ではあまりメジャーではないような気がする
長い歴史を誇るものを目にすると信頼を置いてしまう一方で、あまりにも長いと訝しく思う自分もいる
住宅街の路地は入るのを躊躇してしまうときもあるけれど、商業地域にある路地でそのように思うことはない
レインボーブリッジの橋桁は海面から52mの高さにあるから、両端に1kmを越えるアプローチ部が設けられている
港区立伝統文化交流館はもともとは花柳界の見番として建設された建造物だ
落語芝浜の舞台になった雑魚場は今では高層ビルと線路に囲まれて魚市場らしさはどこにもない
おとなしく信号待ちするか否かに国民性が現れるのだろうか
柴又と映画「男はつらいよ」は切っても切れない関係になっている
新宿交通公園には実際に乗れるミニ鉄道が走っている
ベビーカステラを売っていない縁日なんてないに違いない
かつて亀有香取神社は千葉県香取市にある香取神宮の社領だった
大鳥神社の神楽は神前で祭典中に舞うもので、ヒョットコやオカメが出てくる里神楽とは違うものだ
奥澤神社は住宅街にあるのにもかかわらず鬱蒼としていて非日常を感じられる
自由が丘駅の周りにはまだまだ路地があってごちゃごちゃした雰囲気が残っている
自由が丘学園があるところが後から自由が丘という地名になったのだ
自由が丘という地名のイメージとその旧称である衾村という地名のイメージはかなり違う
意外なことに氷川神社のほとんどが関東に建っているらしい
昔は裕福であっても貧乏であっても、夏の暑さに無防備にさらされる点は平等だった
東京都美術館や東京都現代美術館と比べると東京都写真美術館の存在感は薄い
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