ムンバイで、いわゆる観光名所と呼ばれる場所をいくつか巡った。世界遺産に登録された石窟群、イギリス統治時代を思わせる壮麗な建築、きらびやかなホテルや博物館。どれも整備が行き届き、歩きやすく、撮影しやすく、きちんと「見せる」ことを前提に構築されている。観光客は熱心にシャッターを切り、売店のアイスクリームはよく売れ、ガイドは笑顔で旗を掲げていた。
けれど、どこか物足りなさが残った。
目の前の景色は確かに“ムンバイ”なのに、そこに暮らす人々の気配がうまく拾えない。街の輪郭だけが浮かび上がり、そこにあるはずの体温や呼吸が、どこか抜け落ちている。旅をしているというよりも、あらかじめ用意された舞台装置の上を歩かされているような、そんな感覚があった。
地元の暮らしに触れる旅がしたい。そう願っていたはずなのに、気がつけば「ここも予習済み」という既視感ばかりがついてまわる。
そんな気持ちのまま歩いていると、ふと目に入った細い路地があった。
地図にも載っていないような、観光客が通るはずもない場所。標識も案内もなく、ただ静かに日差しの筋が落ちている。大通りから一歩外れただけなのに、空気の匂いががらりと変わったように感じられた。
路地の脇には、簡素な長屋が肩を寄せ合うように建ち並び、小川が静かにその傍を流れていた。頭上には洗濯物を干すロープが渡され、壁際には植木鉢や使い込まれたバケツ、壊れかけの椅子や何に使うのかわからない道具が、雑然と、それでもどこか秩序立って置かれていた。
しばらく歩くと、小さな広場のような空間に出た。プラスチックの椅子がいくつも並べられ、数人の男女が思い思いの姿勢でくつろいでいる。テレビの音もラジオの音もない。風と、誰かの笑い声がかすかに混じるだけの、静かな時間が流れていた。
その一角に、ひとりの女の子がいた。
何をするでもなく、誰かに注目されるでもなく、ただその場に“いた”。風景の一部のように自然に、そして淡く存在していた。目が合ったとき、彼女はほんの少しだけ顔を背けた。恥じらうように、あるいは戸惑うように。
僕の存在に気づいていないわけではない。でも、誰も驚きも歓迎もしない。ただ、そこにいる者として静かに認めてくれる。
それは、ガイドブックのどこにも書かれていないけれど、確かにムンバイという都市の、かけがえのないひとつの断面だった。
2025年3月 インド 人びと | |
大きな瞳 女の子 ムンバイ ネックレス |
No
12850
撮影年月
2024年5月
投稿日
2025年03月26日
撮影場所
ムンバイ / インド
ジャンル
ポートレイト写真
カメラ
SONY ALPHA 7R V
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF