台北の中心部にある行天宮は、台湾を訪れる観光客にとって定番の参拝スポットである。商売繁盛や厄除けを祈る人々で、平日でも境内は人が絶えない。その一角で、木製の長椅子に腰掛け、分厚い聖典を開いている女性信者の姿を見かけた。背後からそっと覗き込むと、そこには中国語でびっしりと書かれた文字が並んでいる。余白はほとんどなく、黒々とした活字が紙面を覆い尽くしていた。素人目には、ただ無慈悲に並ぶ漢字の群れであるが、信者にとっては日々の拠り所となる教えなのだろう。何が書かれているのか僕には一切理解できないのに、あたかも自分まで悟りを開いたかのような錯覚を覚えるのは、宗教施設という場の雰囲気のせいに違いない。
興味深いのは、その女性の指先の動きである。文字を追う様子は驚くほど軽やかで、まるで古典落語の名人が噺の山場を暗誦するかのように淀みがない。ひょっとすると、長年の習慣で聖典を諳んじられるほどに読み込んでいるのかもしれない。経典を読む姿は静謐だが、隣で無遠慮にシャッターを切る観光客の存在とあいまって、場の荘厳さはどこかしら滑稽でもある。人は悟りを求めて寺に集うのか、それとも写真に写り込む自分を確認して俗世に帰るのか、僕には判断できない。いずれにせよ、台北の喧騒の中で、行天宮の聖典を読む信者の姿は、宗教と日常がない交ぜになったこの都市の特異な風景を象徴しているように思えた。
2007年4月 人びと 台湾 | |
本 漢字 経典 台北 寺院 参拝客 |
No
823
撮影年月
2007年1月
投稿日
2007年04月04日
更新日
2025年09月03日
撮影場所
台北 / 台湾
ジャンル
スナップ写真
カメラ
CANON EOS 1V