台北の行天宮に足を踏み入れると、まず耳に飛び込んでくるのは喧騒ではなく、妙に整った静寂だった。大勢の信徒たちが並んで腰掛け、経文を開いている。ほとんどは声を出さずに黙読しているが、ときどき小声でブツブツと呟く者もいる。その声は蚊の羽音ほどにかすかで、かえって全体の静けさを強調するようだった。たまに紙の擦れる音がして、誰かが聖典のページをめくったのだとわかる。
ここは関帝を祀る廟であり、台北の中でも商売繁盛を願う参拝者で賑わうことで知られる。つまり現世利益を追求するには格好の場のはずだが、目の前の信徒たちは実に真剣に読経ばかりしている。これでは、商売の神様も肝心のお願い事を聞き逃してしまうのではないかと、余計な心配をしてしまう。もっとも、彼女たちにとっては経を唱えること自体が願掛けなのであろうし、商売のことなど頭の片隅にしかないのかもしれない。
台湾の寺院文化では、線香を何本も束にして燃やす習慣や、赤い筒に入った竹棒で神意を占う風習など、日本人からすると不思議な光景が展開される。だが、この行天宮のこの場所では線香を手にしている人は誰もいない。信徒は黙々と聖典の上に視線を走らす。そうした姿勢が、台北という都市の近代性と奇妙に調和しているようにも思える。
経典を黙々と追う女性の横顔には、浮世の損得を離れた表情が見えた。だが、寺を出ればすぐに台北の喧噪に巻き込まれるに違いない。結局のところ、信徒たちがここで得られるご利益とは、しばしの静寂と心の均衡なのかもしれない。世俗の利益は後からついてくる――と、関帝さまも笑っているだろう。
2007年4月 人びと 台湾 | |
経典 台北 寺院 女性 |
No
821
撮影年月
2007年1月
投稿日
2007年04月03日
更新日
2025年09月03日
撮影場所
台北 / 台湾
ジャンル
スナップ写真
カメラ
CANON EOS 1V