マラッカ旧市街の通りを歩いていた。ここにはユネスコの世界遺産にも登録されている、古い中国寺院の青雲亭が建っている。さっそく境内へ足を踏み入れてみたが、日本の神社や仏閣とは雰囲気がまるで違っていて戸惑う。宗教が違うのだから当たり前と言えばそれまでだ。しかし、何より驚くのは、境内にはただ無骨な祭壇が並ぶばかりで、風情のある庭園に相当するものが一切見当たらないことである。京都の有名な仏閣であれば、趣向を凝らした見事な石庭などが参拝客の目を愉しませてくれるもの。だが、このマラッカにある中国寺院の建築は風水思想を反映しており、自然を模した庭を愛でる空間ではない。あくまで神仏と対話するための実用的な儀礼空間として設計されている。そのため、のんびりと庭の白砂を眺めて感傷に浸るような贅沢はここでは考慮されていない。
そののんびりと庭を眺める贅沢が一切許されない代わりに、境内にはこれでもかと言わんばかりに夥しい数の祭壇が処狭しと設けられていた。あまりの多さに、一体どこの祭壇の前に立ってお参りをすれば良いのか、見当もつかないほどだ。ここでは道教の観音菩薩や媽祖など、様々な神仏が同居している。祀られている神様によって当然ながらご利益も千差万別だろう。もしもお願い事の窓口を間違えて参拝してしまえば、期待したご利益にはあずかれないに違いない。商売繁盛を願うつもりが、うっかり別の神様に無病息災を頼んでしまうような、おかしな混線が起きそうだ。もっとも、敬虔な人々はそんな僕の浅はかな心配などどこ吹く風で、境内にあるすべての祭壇を律儀に回り、熱心に手を合わせているのかもしれないが。
そんな現地の敬虔な人々による熱心な参拝の様子を眺めながら、僕は本堂の薄暗い日陰から開け放たれた重厚な門の外をぼんやりと見つめていた。白壁に挟まれた黒い木製の門扉には、白い文字で「宏開」「覚路」と大きく刻まれていた。広く門を開いて悟りの道へ進めという意味の、ありがたい仏教的な意匠らしい。その教えの通りに何層も重なる門の向こうを覗くと、ちょうど路上を自転車に乗った男が荷物を載せてスタスタと走り抜けていくのが、四角い額縁に切り取られた絵画のように見えた。
| 2009年4月 町角 マレーシア | |
| 自転車 中華街 漢字 門 マラッカ 寺院 |
No
2667
撮影年月
2008年12月
投稿日
2009年04月08日
更新日
2026年07月14日
撮影場所
マラッカ / マレーシア
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
CANON EOS 1V
レンズ
EF85MM F1.2L II USM