日本橋(東京)
上半身はかなり前のめりになっているのだけれど、肝心の脚は上半身に遅れを取っていた
日向と日陰のまだら模様の中でシルエットのようになった人もいれば、スポットライトを浴びたように輝いている人もいた
飲み屋街に降り注ぐ明るい太陽はどこか場違いに思えた
新しい店が生まれ、古い店が消えていく光景に、「諸行無常」の趣を感じずにはいられない
文京シビックセンター(東京)
文京シビックセンターの展望台から眺めると、スカイツリーのそのずば抜けた高さを感じられる
東大本郷キャンパス(東京)
匿名だったため、生前は安田講堂が安田善次郎の寄付とは知られていなかったのだという
その数の多さを見るに、東大の本郷キャンパスを設計した人物はアーチという形に並々ならぬ愛着があったに違いない
富士見坂(東京)
坂の先に見えるのは高層のビル群ばかりで、かつての眺望は名前にわずかな名残を留めているだけだった
護国寺(東京)
真っ直ぐに伸びる護国寺の参道に二つの人影が現れた
不老門の扁額は世が世なら第16代将軍になっていた徳川家達によるものだ
新橋駅(東京)
あたかも電車が来たという合図が、忘却の底に沈んでいた何かを掘り起こしたかのように頭を掻き始めた
浜松町駅(東京)
窓に書かれた外国語が何語なのかさえ僕には分からないけれど、その無知がむしろ妙な安心感を生み出す
浜松町(東京)
遠くに出口の明かりが見えなかったなら、この暗がりに身を預ける勇気はおそらく湧かなかっただろう
浅草(東京)
影の間に挟まれた小さな日向はまるで周囲から切り取られた一片の舞台のようだった
元浅草(東京)
無機質な鉄の幕が降ろされている姿は、かつてこの建物が担っていた営みを遮断し、過去を切り取ったようでもあった
ふじのき公園(東京)
子どもたちの楽しそうな姿には目を向けず、スマートフォンを見つめていた男は自分の時間と外の世界を明確に切り分けているようだった
向島百花園(東京)
萩のトンネルは微妙に曲がっているせいで、一瞬どこまでも続いているように見えるけど、実際にはたいして長いものではない
下谷神社(東京)
下谷神社の鳥居は浅草通りに面して堂々と立ち、通行人たちに自己主張しているかのようだった
新宿御苑(東京)
木漏れ日が柔らかく降り注ぐような場所でじっと寛いでみるのは、きっと格別に気持ちのいいことに違いない
新宿(東京)
影になっている場所と日向の場所との境界線は舞台の袖のようだった
渋谷スクランブル交差点(東京)
浮かない顔をした歩行者たちとは対照的に、電光掲示板の中の女性は楽しそうだった
大同区(台北)
寧夏夜市から脇道に入ると喧騒は嘘のように消え去り、歩き続けるのを躊躇してしまいそうだった
迪化街(台北)
すべての商品が安く売られているような印象を受ける名前だったけれど、その店構えは堂々としていて、安物を扱っているような雰囲気はまるでなかった
嘉義(台湾)
日本の植民地だったという歴史を考えると、日本語への親しみは少し意外で、朝鮮半島でのイメージとは大きく異なっている
台南東獄殿(台南)
普通ならば獅子が置かれているはずの入り口の脇に丸い石が置かれていた
台湾府城隍廟(台南)
ご利益に商売繁盛を掲げる寺院は多いけれど、もっとも繁盛しているのはそんなご利益を掲げた寺院のような気がする
水仙宮市場(台南)
よそ者の僕にとって、迷路のように複雑に入り組んだ市場の路地はとても魅力的だ
中西区(台南)
茶のスタンドで売られている茶の種類は多く、どれを選べばいいのか決めるのは困難な作業だ
台南(台湾)
派手な宣伝や目立つ装飾はなく、看板が軒下に控えめに掲げられていた
台南には数え切れないほどの寺院が点在しているものの、それらすべてが一般公開されているわけではなくプライベートな寺院も多いようだ
通りには漢字で書かれた看板が溢れていた
日本もそうだけれど、すべての国が西暦を用いているわけではなく、北朝鮮は主体年号という独自の暦を使っているし、イスラム諸国ではイスラム暦が広く使用されている
観光地を離れた場所には、のどかな空気が漂い、日常の営みがゆっくりと流れていた
無造作に積み上げられた籠と軽食を食べる女性の静かな姿との対比が、混沌とした市場の中に妙な調和を生み出していた
通路の両脇に並ぶお店のシャッターはすべて閉ざされていて、屋根で覆われた通路には電灯もなく、薄暗さが支配していた
家と家の間に走る路地は、眺めただけでは通り抜けられるのかどうかは判然としない
スクーターは何事もなかったかのように一瞬で走り去っていき、また静けさだけが残った
崇義黃昏市場(台南)
バイクに乗った男のシルエット
台南の東区(台南)
跨線橋の下の道
人気の惣菜屋
町角
人びと
乗り物
食べ物
建築
スポーツ