ムンバイ(インド)
お父さんがハンドルを握るバイクの後ろに乗った女の子が僕に気が付いていた
何をするわけでもなく道端や歩道に腰を下ろしている人たちは普段目にしないものに敏感だ
人口1000万人を超える大都市の歩道には何をしているわけでもなく、ただ往来を眺めている人たちが少なからずいる
高雄(台湾)
高雄という地名はかつて「打狗」という卑俗な漢字で表されていた
外川漁港(銚子)
関係者以外は立入禁止になっている外川漁港は閑散していた
横浜税関(クイーンの塔)(横浜)
クイーンの塔の横を走るバイク
京都市(京都)
なんてことのない路地を歩くのも楽しい
ジャカルタ(インドネシア)
インドネシアは700万台ものバイクを生産する世界第三位の二輪車生産大国だ
モスクの外にあぶれてしまった男の子たちは中で行われていた説法をよそに楽しそうにおしゃべりしていた
ボロボロの古いベンチで寝ていた女の子の視線が僕に注がれていた
集団礼拝に参加するのが義務とされているのは男性に対してだけなので、礼拝の最中も女性は普通に路地を行き来している
ジャカルタ・コタにある路地には洗濯物が干してあって安穏な雰囲気が漂っていた
公共の場所は他者が掃除すると思う人が多い一方で、この路地のような住民のパーソナルスペースは住民自身が清掃することが多いのだ
チルボン(インドネシア)
市場裏の路地を何台ものバイクが行き来していた
嬉しそうに真剣な顔付きをしながら雑貨屋で買い物していた幼い女の子
カノマン市場(チルボン)
親子がバイクに三人乗りしていた
イスラム教徒の女性はヒジャブの上にさらにヘルメットをかぶるのだろうか
カラワン県(インドネシア)
車窓の遠くに見える山はタンクバンプラフという活火山だった
女性が屋台の後ろで客が来るのをネットサーフィンしながら待っていた
インドネシアは日本と同じように左側通行だ
食品サンプルは日本で考案された表現手法のため、海外で店頭に料理が置かれている場合、ほぼ全てが本物だ
大きくてカラフルな箱を後部に取り付けたバイク
インドネシアではGOJEKとGRABの配車アプリを巡る争いが展開されていた
橋の上に何台ものインドのバジャージ・オート社製の青い三輪タクシーが停車していた
壁があると何かを描きたくなるのはアメリカでも日本でもインドネシアでも同じのようだ
ドラマや映画を撮影するときに、お金持ちの家が舞台の時はあまり物を置かず、貧乏を表現したい時には物をゴチャゴチャ置くのだという
インドネシアのバイク保有世帯比率は85%もあり、世界で三番目に高い
ジャカルタではバイクを自宅の敷地内にしまうという習慣はないようで、路地には沢山のバイクが駐められている
ジャカルタの猫は邪険に扱われていはいなそうだった
サワブサール駅(ジャカルタ)
ジャカルタで道が交差するところには、必ずやバイクタクシーの影がある
カメラ付携帯電話の普及によって写真を撮ることと撮られることの非日常性は薄れてしまった
ジャカルタでGrabにもGojekにも登録していない独立系の運転手は、OJEKと呼ばれるらしい
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
ハヤム・ウルク通りはバスレーンもあるような大きな通りだけれど、屋台はあちらこちらに出ている
タマン・サリ地区(ジャカルタ)
ジャカルタの住宅街では建物と建物の間に人が通れるような隙間があることもあった
グロドック地区(ジャカルタ)
グロドックの路地にはバイクが何台も停められていて、ただでさえ狭い路地がより一層狭くなっていた
かつて渋滞を解消するシステムとして、Three-In-Oneという1台の車に少なくとも3人乗ってなければならない規制がなされていた
バンコク(タイ)
バンコク市内の道は、タノンという大通りと、そこから枝分かれした細い道であるソイに大別できる
マハーチャイ(タイ)
マハーチャイのような田舎町にも華僑がいて、華僑の大好きな金を扱う金行があるのだった
マハーチャイ埠頭(マハーチャイ)
メークロンとバンコクを結ぶ線路を繋がっておらず、途中で川を渡り、マハーチャイから別の列車に乗る必要がある
サムットサーコーン県(タイ)
列車と並行して走るサイドカーに乗った人たちは、風を受けて気持ちよさそうだった
昼寝
エプロン
カフェ
托鉢
老人
信号