ムンバイ(インド)
市場で働いていた男がピースサインで応じてくれた
無精髭を生やした男が大きなバケツに入った野菜を運んでいた
オリーブドラブ色のシャツを着ている人を見るとなぜだかわからないけれどインドを感じてしまう
男がそら豆のような野菜を両手でむんずとつかんでいた
暑い国では、許されるなら革靴などのかしこまった靴よりもサンダルで過ごしたい
男のお店では今でも大きな天秤ばかりが現役で使われていた
ローカル市場をウロウロしても何をしに来たと詰問されることも仕事の邪魔だからと追い払われることもなかった
日本のIT化はインドに遅れているような印象を持っていたけれど、少なくとも旅に関してはそんなことはないと思う
日本民家園(川崎)
日本民家園は古民家を保存展示するだけでなく民具の保存と伝承、活用も目的にしている屋外博物館だ
ジャカルタ(インドネシア)
再開発された町を散策しても面白く感じられないのは、人の流れがスムーズになりすぎているからではないだろうか
近所のモスクで集団礼拝が行われていても、参加しない男性も結構いる
ジャカルタ・コタ駅(ジャカルタ)
ジャカルタではバジャイの運転手もアンコットの運転手も男社会だ
ファタヒラ広場(ジャカルタ)
観光名所であるファタヒラ広場が閑散としていると、近くで商売している人もやはり暇そうだ
チルボン(インドネシア)
男は携帯電話を握りしめて、連絡が来るのを待っていた
マレーシアを旅した時にはソンコをかぶった人をしばしば見かけたけれど、ジャカルタとチルボンではあまりかぶっている人はいなかった
男が眺めている方から穏やかな住宅街の平穏を破るものがやって来そうな感じがした
通るたびに挨拶を交わすようになった男にカメラを向けるとピースサインが返ってきた
男の水槽には海藻のようなものは何もなく、底にも何も置かれておらず、ただただ魚が泳いでいるだけだった
バジャイの運転手が交通量の少ない道路の脇に車両を停めて休憩していた
何の変哲もない場所を歩いていても、ジャカルタでは視線を感じることはないし、声をかけられることもあまりない
親指を立てるという仕草が肯定的な意味を持つとは限らない
ジャカルタの路上ではドリアンだけでなくマンゴスチンも売られていた
路上で何をするわけでもなく過ごしている人は決まって男性だ
ジャカルタで見かけるガスボンベはみな緑色だから、緑と定められているのかもしれない
デジタルデータになった写真は、フィルム時代と同じように何十年後にも残っているのだろうか
指笛に対するイメージは日本人と西洋人で異なっているので、インドネシアでもまた違っているかもしれない
ごちゃごちゃした路地は、どこかへ通り抜けられるのか、はたまた誰か家にしか通じていないのかは入り口に立っただけでは分からない
ひとたびジャカルタの住宅街に迷い込めば、英語が堪能かどうかなんて関係なくなってしまう
外国人があまりいない観光地でないところを歩いていると、地元の人の注目を浴びることは多い
インドネシアは高温多湿なので、タキーヤもメッシュ状にした方が涼しいに違いない
社会の維持に必要な肉体労働はAIが発達しても、そうそうなくなることはないだろう
サワブサール駅(ジャカルタ)
ジャカルタのサワブサール駅の周辺には商業施設が建ち並んでいる訳でもなく、普通のビルが並んでいるだけだった
東京に負けるとも劣らずコンビニがアチラコチラにあるジャカルタだけれど、中には昔ながらのキオスクも残っている
野菜のフリッターであるバクワンなら、車を運転していても食べやすいに違いない
ジャカルタでもスマホは一般的なのだけれど、男が使っていたのは古いタイプの折り畳み式の携帯電話だった
ガンビール駅(ジャカルタ)
男はGojekのドライバーをしながら、同時に道端でお菓子類を売る仕事もしているようだった
ガンビール地区(ジャカルタ)
ハヤム・ウルク通りを走るバスはバス専用レーンを走り、プラットホームも中央分離帯に設けられていた
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
ジャカルタで見かけた給油機は人間にする点滴と同じ仕組みで動いているような気がした
グロドック地区(ジャカルタ)
ジャカルタの人は外国人が珍しくないのか、興味がないのか、あまり観光客がいないような場所を歩いていても耳目を集めることはない
スラビはインドネシアの伝統的なお菓子で、米粉にココナッツミルクや砂糖を混ぜたパンケーキのようなものだ
像
庭園
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托鉢
ベチャ
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